(前回→「母に認知症新薬の臨床試験の誘い、そして幻覚」)

 2015年4月、じわじわと母のアルツハイマー病の症状は悪化し、自分は過大なストレスで幻覚まで起こす状態だったにも関わらず、私は公的介護保険制度を利用することをまったく考えていなかった。

 まったくうかつというほかないが、私は介護保険の分野に老人に対する「公的な」支援制度が存在することを全く意識していなかった。

 この原稿を書くに当たって、メールの過去ログを検索したところ、2014年11月の時点で、妹が介護認定を取得する必要性について言及していた。ところが私は、「自分で母を支えるしかない」と、かたくなに思い込んでいた。正確には公的介護制度の存在は意識していたが、母と自分が利用可能な制度であるとは、これっぽっちも思っていなかったのだ。

 「そんな馬鹿な」「こんな人が書く原稿を信じていいのか」と言われそうなので、すこし背景を説明させていただく。

 私の老人介護に関する知識は、1991年に母の父、つまり祖父を見送ったところで止まっていた。

 祖父は19世紀末の1896年生まれで、1991年に95歳でこの世を去った。その5年程前からは、今にして思えば認知症の症状が出て、介護を引き受けた母はひとかたならぬ苦労を強いられていた。それを横で見ていた記憶があったので、「自分も、母になにかあれば同様に介護するものだ」と思い込んでいたのだ。

 元海軍軍人、それも兵学校出身の士官だった祖父にはかなりの年金がついていた。年金を使ってまずは娘の家の近所の有料老人ホームで暮らし、自分で身の回りの始末ができなくなると介護のお手伝いさんを雇い、それでも介護が難しくなると養護老人ホームに移った。祖父の命は最終的に、身動きがとれなくなった老人を専門に引き受けていた病院で尽きた。1991年当時は、家庭ではどうにも世話が不可能になった老人の最後は病院が引き受けていた。

 親の介護は、いわば「自己責任」でするもの。その印象が強烈だったために、私は老人人口の増加によって公的制度が大きく変化していることに全く意識が向かなかった。それにしたって介護保険が始まったのは今から18年も昔の2000年。まったく無知極まれりだが、そもそもは老人の介護に関して無関心だったのが悪かったのだろう。まさしく、敗戦の第一の要因である。

「大人は、親の面倒を見て一人前」か?

 言い訳をもうひとつするなら、ストレスのかかり方のせいでもある。

 介護のストレスは徐々に増加していく。「これぐらいなら大丈夫」「まだまだ大丈夫」と思っているうちに、ストレスはじわじわと増して、気が付くと、冷静に周囲の状況を見回し、支援を仰ぐことを考えることすら、不可能な精神状態に追い詰められていくのだ。

 自己責任の意識、老人介護への無関心からくる思い込み、そして真綿で首を絞めるようなストレスが視野を狭める。使える介護制度を見逃して、私と似たような状況に落ち込む可能性がある方が、少なからずおられるのではなかろうか。

本連載、ついに単行本化。
タイトルは『母さん、ごめん』です。

 この連載「介護生活敗戦記」が『母さん、ごめん。 50代独身男の介護奮闘記』として単行本になりました。

 老いていく親を気遣いつつ、日々の生活に取り紛れてしまい、それでもどこかで心配している方は、いわゆる介護のハウツー本を読む気にはなりにくいし、読んでもどこかリアリティがなくて、なかなか頭に入らないと思います。

 ノンフィクションの手法でペーソスを交えて書かれたこの本は、ビジネスパーソンが「いざ介護」となったときにどう体制を構築するかを学ぶための、読みやすさと実用性を併せ持っています。

 そして、まとめて最後まで読むと、この本が連載から大きく改題された理由もお分かりいただけるのではないでしょうか。単なる介護のハウツーを語った本ではない、という実感があったからこそ、ややセンチな題となりました。

 どうぞお手にとって改めてご覧下さい。夕暮れの鉄橋を渡る電車が目印です。よろしくお願い申し上げます。(担当編集Y)