もちろん私には仕事があるので、その上でこれだけの家事が降ってくると大変だ。でも、世には家族が居て仕事に出ている女性は多い。またすべての既婚男性が家事に協力的というわけでもない。全部を被って家族の面倒を見つつ働いている女性からすれば、「それぐらいで悲鳴を上げるんじゃない、軟弱者め」であろう。

 その通りなのだが、介護にはひとつ違うことがある。

 子供には育つ喜びがある。介護にはない。日々少しずつ症状は進行し、ますます手が掛かるようになっていくという寒い現実だけがある。「これぐらいの負担なら大丈夫」と思っても、将来にわたって負担が一定と言うことはない。認知症の症状の進行で、介護する側の負担はどんどん増えていく。

 しかも長年専業主婦であった母にとって、私がどんどん家事を引き受けていくということは、「自分の仕事が奪われる」という自尊心に傷が付く事態でもあった。結果、家事を引き受けていく過程で、私は母と何度も衝突し、言い争いを経験することになった。

 介護をする側は、介護に専心するほどに、介護される側からの抵抗にぶつかるのである。そして認知症で失われるのは、記憶に関する機能だけではない。性格にも変化が現れる。

 母の場合、性格の変化は、我慢や周囲への配慮がなくなる、という形で現れた。

「これ不味い! おいしいものを頂戴!」

 せっかく頑張って食事を出しても、大きな声で「これ不味い」と言われてしまったりする。以前の母なら、息子が頑張って作った食事はたとえ不味くても文句を言うことはなかった。「これはちょっと塩味が足りないわね。最初に肉に塩コショウしてすこし置いておくといいのよ」というような、建設的な物言いをしてくれた。

 それが開口一番、「まずーい」だ。それどころか、大きな声で「あーあ、こんなんじゃなく、もっと美味しいものが食べたいわー」といったりする。今にして思えば、認知症による味覚の変化もあったのかも知れない。

 こちらも頭にきて「じゃあ、一体なにが食べたいんだよ!」と詰問すると、これが悲しいことに。母の口からは、もはや具体的な料理の名前が出てこない。快・不快は反射的に口から漏れるものの、具体的に「あの料理がおいしい」というような知恵を使うことは、なかなか口から出なくなってしまっているのだ。「とにかく、こんなんじゃない。おいしいものよ!」と言い返してくる。

 それでも私が料理をしていた2年すこしの間、たまに母が「おいしい」と言ってくれると、とてもうれしかった。「おいしい」の回数がさほど多くなかったことは悲しくもあるし、母に対して申し訳ないとも思う。もっときちんと料理を覚えておけばよかった…。