川内:だけど、社会に出てみてやっぱり思ったのは、「いや、話が逆だった。介護や障害者の現状を見ずに、社会のことを考えたり経済のことを考えたりというのは無理だ」という。知っているが故に、知ってしまったが故に、だめだこれ、と、戻らなきゃいけなくなったんです。

Y:介護を抜きにして社会のことは考えられないということですか。

川内:と思ったんですね。なぜかといいますと、これもまたすごく具体的な話で申し訳ないんですけど、私、外資系のコンサルタント会社で仕事をしているときに、人員整理をしていたことがあって、ほとんど稼働してない工場の社員さんを毎日どんどんひたすら解雇する。「子供が大学受験なんです」「関係ないです。クビです」「親が介護が必要で」「いや、関係ないです、クビです」と、非情にとにかく伝えていくというのを、24歳か25歳ぐらいのときにやったんですよ。

 当時の自分の写真を見ると、とてもじゃないけどこの人は、きっと笑ったことがないし、これから先も笑わないんだろうな、みたいな顔をしているわけです。

 それを毎日やっていると、過去に自分が学んだ生活保護の話とか、シングルマザーで障害の子を抱えてきた人たちの話とかのケースを分析したりしていた自分を思い出すんです。その人たちの将来というか、ここで、自分に仕事を取り上げられたその人たちのその先が多少なりとも目に浮かぶわけです。

「人員整理の話をしているより、ずうっとずっとマシです(笑)」

 いったい、自分は何をしているんだろう。こんなことをするために仕事を選んだんだろうか。お金はもらえるかもしれないけど、でもこれは自分がやっていいことなんだろうかと、ついそう思ってしまいまして。「いや、この仕事はもう無理だ」と思って、介護事業をやっていた父親に土下座をして、やっぱり介護職に就かせてくださいと言って舞い戻った変なやつなんです。

松浦:それはまたきつい経験をなさったんですね。で、介護の現場に立たれてどうですか。

川内:やっぱり人と触れ合うと、ヘビーな状況にもぶち当たります。それこそ“座敷牢に閉じ込められてしまっている状態”の70代後半の女性の方がいたりするんです。それでも「これってどうしたらいいんだろう。本人にも家族にもいちばんいい解決方法は」ということに頭が使えていることの方が、上司から命令されて、「とにかくこの工場を閉めるから、今日中にこのリストの人を全員解雇せよ」という話と比べたら、全然自分にとっては、いい。まともな仕事に思えます。

 長くなっちゃいましたが、松浦さんの話をお伺いしていて、「あ、社会としてやっぱり、まともな介護の仕組みは、必要なものなんだよね、正しいよね」ということを改めて思いました。自分の体験に勝手に照らし合わさせてもらうと、収入より、効率より、大事なことはあると気づく瞬間が、それぞれの人や企業、社会にも訪れるんじゃないかなと思ったりするんです。もちろん、早めのほうが望ましいとは思いますけれど。

(おわり)

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