川内:企業によってそこのカルチャーがそれぞれあるから、そうでない会社も当然あると思うんですけど、そこを突破していくことの難しさと、そんな中でいざ相談に来たときには、もう相当まずい状態なんだろうなとも思うのです。

 企業さんにとにかく言うのは、「施策を拡充することはある程度できるかもしれないけれども、それよりも雰囲気づくり、文化づくりをそもそもしていかなきゃいけないですよね」と。そもそも、本当にダイバーシティーで考えるんだったら、働いている社員自身がもしかして認知症になるかもしれないわけです、若年性の。

松浦:若年性認知症の方は、数は老齢者の認知症患者よりも少ないかもしれないけど確実におられるわけです。その方々は現状では、ものすごい家庭の犠牲の上で介護を受けているわけですよね。

川内:その通りです。

「厄介者は死ねばいい」と、子供に言えるか?

松浦:ここまで考えると、老人の介護はひとつのきっかけでしかない。「手を差し伸べなければ生きていけない人すべての介護」ということですよね。そこで「お前は役に立たないんだから、潔く死ね」と言ってしまったら、そもそも、社会とか文明の役割って何だという話になってしまう。

川内:本当にその通りです。何のために資本主義のもと、経済活動をしていているのかといったら、大きな意味で、不幸や不運に見舞われた人でも人生を生きていける、自分も含めてね、そういう社会を作るためであって、誰かを排除するためではないはずで。

松浦:トータルとして全員が、それなり、と言っていいのかな、そういう生き方ができる社会をどうつくるかという話のはずです。これから高齢者は増えます。その中から一定の割合で必ず認知症を発症する方が現れます。ということは、今、僕らの社会全体は「それに応じてどんな社会システムを構築していくか」という課題に直面しているのではないでしょうか。

川内:おっしゃる通りです。それは国家も、会社組織も、家族も、個人もですね。

松浦:個人としてもそうですね。

川内:家族とどう向き合っていくのか、自分の親とどうかかわっていって最後はどう看取っていくのか、とか。最近強く思うのは、介護の状態になった家族に対して自分がどう接していくのかというのは、子供に伝承していくんだなということです。おじいちゃんに対して、自分の父がどうしているのかを、子供がよく見ているのですよね。

 こういうふうに施設に入れて人に任せているけれど、でもお父さんってこうやっておじいちゃん、おばあちゃんとかかわっているんだ、じゃあ、僕はお母さんにどうやっていったらいいだろうということを自然に彼らは学ぶんです。

 一生懸命、自分の親の介護をしている父親、母親、あるいは、亡くなられたあと、お葬式などでの両親の話や立ち居振る舞いは、絶対子供の心に残る。親の介護から「逃げない」ということは、親として残せる財産なんだな、というのを、まさに立派にそれをされている方々のお姿を見ると感じます。

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