松浦:辛い事態に直面して、「向こう(母親)に悪意があるから、言うことを忘れたり、手間の掛かることをさせたりしているんだ」というふうに理解しようとしているんですね。老化や認知症で「安心できる基地」が崩壊していることよりは、そのほうがのみ込める。

川内:そうです。「自分が出来の悪い息子だったから、母は今、こうやって仕返ししている。そう私は思っているんです」とか、おっしゃいます。仕事ではものすごい優秀な方であっても、残念だけれども、ここにはまってしまう方もいらっしゃる。ですので、難しいことなんだけれど、男性はそういう「安全地帯がなくなる恐怖感」を、母親の介護に対して持っていると、予め知っておいた方がいいと思います。

 ……もうちょっと立ち入ったことをお聞きしてもいいでしょうか。

松浦:もう、なんでもどうぞ。

川内:お母様を平手打ちにしたとき(「果てなき介護に疲れ、ついに母に手をあげた日」)に、なぜ止められなかったのかを、お話しできる範囲で。

松浦:……うーん。思い出すのもつらいことではあるのですが、やった瞬間を思い出すと、むしろ開放感があったんですよ。

 遡っていくと、自己正当化のプロセスがあった。「今日は(台所での冷凍食品の食べ散らかしを)我慢しよう。その代わり、次にやったら、殴れ」です。やった後はしまったと思うけれども、ここからなかなか止まらない。

 止まらないのは、そこに至るまでの我慢と、内面のストレス発散とでもいうべき「今回は我慢だが次はやっちまえ」的な自己正当化がある。しかも母親も怒って殴り返してくるから、さらにやり返してもかまわないじゃないかというその場での自己正当化もある。止められたのは、やっぱり母が口の中を切って唇の端から血を流す姿を見たから。そういう感じですかね。こういう分析でいいのかな。

川内:重ねてすみません。もしお母様がそこで血を流されなかったら、また次の日同じことが起きていたら、また同じことになったと思いますか。

松浦:分かりません、それは。可能性はない、とは言えません。

川内:やっぱりそうですよね。

トラブルを隠さない姿勢は、ネット会議室で学んだ?!

松浦:たまたま僕の場合、その日がドイツに居る妹との、スカイプでの連絡日だったということがありました。そこも、ツイていたといえばツイていた。

川内:でも、怒りにまかせて連絡日をやり過ごすこともできるじゃないですか。そこも実はお聞きしようと思っていたんです。その日たまたま海外に住んでいらっしゃる妹さんにご連絡する日だった、というのは偶然で、幸運だったと思うんですけれど、でも、松浦さんの心中には、やってしまったことに対する恐怖とか後悔とかが当然生まれていると思うので、これを、妹さんにすぐに、正直に言える勇気ってすごいな、と思ったんです。

松浦:それはたぶん、僕自身が「わりと初期からのネットユーザーだった」ということが関係しているかもしれません。というのは、結局ネット上のトラブルというのは物事をオープンにして、きちんと片付けないとどんどん後を引く、という出来事を何度も経験しているんですよね。

Y:そうきましたか。

川内:すごいですね。