向き合わないことにも、別のリスクがある

松浦:本に書きましたけど、この先の見込みがないところです。結局、老いは下り坂ですから、「頑張って支えていたら元へ戻る」とか「いつかは治る」とか、そういうことはないんですよね。必ず、少しずつ悪くなっていく。ちょっとよくなったような気分になる瞬間というのは確かにあるんですけれども、じゃあ、例えば、今83歳、もうすぐ84歳になる母が、かつての50歳、60歳のころに戻るかといったら戻らない。絶対にありえない。それを横で見ているのも辛いし、そしてその結果起きるいろいろなことを片付けていくのも辛い。そこが一番大きかったかな。

川内:私もそこは本当にそう思います。やっぱり、自分を育ててくれた親が、自分が頼れる、安心できる人ではなくなっていく。そのプロセスは、生きている限り誰しもが目の当たりにしなければいけないんだけれども。介護をすると、よりそれを密接に目の当たりにせざるを得ない。

松浦:そうなんです。自分を育ててくれた人間が「自分が支えていないと倒れちゃう」みたいになっていく。親の介護はそこが辛い。

Y:ううう。いっそ目を逸らしたくなりませんか。

川内:よく分かります。ですが、衰えていく親とまったく向き合わないというと、それはそれでおそらく亡くなった後に辛くなったりするのかもしれないです。とはいえ、直接親の介護をして、しかも同居、というと、目の当たりすることが多すぎて心に負荷をかけ過ぎてしまうのかな、と感じるところもあるんですね。

松浦:そうですね。だからいずれ自分の番が来ることを考えると、自分がそうなっていった場合どう振る舞うべきか。いや、そもそも振る舞えるのか。認知症になっちゃったらそういうことを考える意識自体が問題になるぞ、というのはものすごく考えますね。考えてどうにかなるものでもないんだけど。

自立心の命綱は、排泄

川内:お母様の側にしても、当然、松浦さんはいつまでも大事な息子さんでいらっしゃるので、息子に対してできる限りやってあげたいし、母でいたいという気持ちはずっとあると思うんです。でもそれが自分の、言い方は申し訳ないですけど、能力というか、できることが少なくなっていく中に、お母様自身にも葛藤があったんじゃないかなと思うんです。お母様のそういうお気持ちを感じられたことはありますか。

松浦:感じたのは、親心というよりむしろ母自身の自立心と自尊心ですね。特に排泄で感じました。「自分でやる、自分でやる」と。できなくなっても「自分でやる」と言った。できないんだからこっちに任せてくれといくら言っても、やっぱりやりたいんですね。もっと踏み込むと、「できる自分であると思いたい」んだと思います。

川内:そうですよね。それをご家族で受け止めるのって私は相当大変なことだなと思います。私たち介護事業者は、「排泄のケアが、その方の自立心の最後の命綱である」と習って、ご本人がそういうお気持ちを持つということは大事だ。できない部分はどこなのか、と分析するんですよ。排泄行動のタスクを挙げていって、ここの動作だというのを見つけて、そこだけサポートするんです、できる限りね。

 特に、認知症の方のケアにとってはすごくそこが大事です。ご本人のやりづらさが出る部分はどこなんだろうと。例えば尿意を感じているんだけど、その記憶が失われてしまって行けないのかもしれない。その場合は、心地よい声掛けによってご本人がすっと行かれるケースもあるし、施設の場合は利用者さん同士で声を掛けて行かれる方もある。男でいう「連れション」みたいなやつですね。

松浦:なるほど。