自分の症状を認められるかどうかは、性格によって決まる部分もあるのだと思う。母は、かなり自尊心が強い性格だった。アクティブな生き方をしてきたのにも、自尊心を守るために家事も趣味も仕事も勉強もがんばるという側面があった。そんな人が、認知症によってこれまで努力して獲得した様々な能力を喪失していく――母にとって耐えがたい事態であることは想像に難くない。

 しかし、その状況下で事実を認めなければ、母は自尊心を守るために周囲に刃を向けることになる。刃の向いた先には、もっとも近い肉親、すなわち私がいた。

 「なんで病院に行かなくてはいけないのか」
 「なんで私が検査なんて受けなくてはいけないのか」
 さらには「私がこんなことをしなくてはいけないのは、きちんと私の面倒を見ないおまえが悪い。きちんと私の面倒を見なさい」とくる。

 「事実を受け入れることができず、対策に反対し、抵抗する」という母の姿勢は、この後ことあるごとに現れて、私を苦しめることとなった。

 よかれと思ってしたことが本人から激烈な態度で拒否される――私にとって、介護に関する苦しみの半分は介護される母本人による拒否と抵抗であった。

献身する者が憎まれる不合理

 調べると、介護される側とする側の確執は、割と一般的なものらしい。しかも確執の矛先は最も身近な者、つまり直接介護する家族に向かうのが普通なのだそうだ。たまに見舞いにやってくる親族に、もっとも世話になっている介護担当の者の悪口を言うこともあるとか。最も献身を要求される者が最も忌避される、というのは救いのない話である。

 しかし、人は誰でも途中で死なない限り老いる。老いていく以上、いつか自分が母と同じ状態となってもおかしくない。目の前の母は、未来の自分かも知れないのだ。介護とは、同時に自分の老い方、ひいては自分の死に方について考えることでもあった。

 ずいぶんと色々話してみたのだが、最終的に説得は諦めた。説得できたとしても、すぐに忘れてしまうであろうことが、日々の生活の中で少しずつ分かってきたからだ。通院当日の朝に「念のための検査だから行ってきましょうね」と柔らかく、かつ有無を言わさず連れ出すことにした。

 病院に行くということは、主治医を選ぶことでもある。
 私としては、なるべくしっかりした医師に母を診てもらいたかった。

 あれこれ調べ、相談して、「ここならば」と選んだのは近くの総合病院の神経内科のA医師だった。さっそく予約を入れようと病院に電話を入れると、「新規の方はかなり待つことになります」と言われてしまった。私は待つことにして、翌2015年2月の診療予約を入れた。

 今にして思えばこれは失敗だった。いち早く病院で確定診断を受けて、その後の介護生活の準備を始めるべきだったのだ。

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