これは今考えれば大失敗だった。
 危機管理上ありがちで、もっとも警戒すべき事態を、まんまと見逃してしまった。
 ここから私の「介護敗戦」が始まった。

 いや、敗戦は一瞬のイベントだから、むしろ介護敗退というべきなのかも知れない。失われていく母の能力に応じて介護体制を組み、症状の進行によって次の介護体制を組むことを余儀なくされる——私にとっても、衰え行く母にとっても、介護とは敗退・戦線再構築・また敗退、の連続だったのである。

さすがにおかしい、と気づいたが…

 2014年9月の彼岸、母を連れて墓参りに行った。父がこの世を去ってからしばらくの間、母は月命日には必ず一人で墓参りをしていた。私が「なにも毎月行かなくてもいいのに」というと、「いや、お父さんがさびしがるから」と月命日の墓参りをやめようとしなかった。が、この時は母にとって、半年ぶりの墓参りだった。

 我が家の墓はちょっとした丘の中腹にあり、墓地まではごく緩い傾斜の道を歩く必要がある。母の心肺機能と脚は驚くほど弱っていた。半年前は難なく歩けていた道を、息を切らして休みつつ歩いた。さすがの私も「これは妙だ」と考え始めた。

 これは老いか? 老いにしては衰弱が少し速すぎはしないか。一見老いたと思える現象が実際には病的なものであるのならば、病気への対処を考えねばならない。

 私は弟と妹にメールを送った。「母の様子がおかしい。医師の診断を受ける必要があるかもしれない」と。メールログを見ると2014年9月26日のことである。

 足かけ2年半に及ぶ、母と私の介護戦線の始まりであった。

■変更履歴
記事掲載当初、本文中で「五島勉」氏のお名前を誤記しておりました。お詫びして訂正します。本文は修正済みです [2017/03/09 10:00]