創業者、康臣氏の功績も知ってほしい
宅急便を始めてからは、宅急便に集中していったのですね。
都築:そうです。松下さんはじめ法人のお客さんを軒並みこちらから断わったのです。
宅急便が大成功を収めたので、今ではヤマト運輸と言うと、宅急便の会社ということになりますが、ヤマトには宅急便の前にも長い歴史があるわけです。けれどマスコミも、また社内でも、どうしても小倉昌男さんのイメージが強い。極端に言えば、昌男さんを偶像化、神格化してしまう面があります。
しかし、実際には創業者の康臣氏の功績も大きかったのです。2人を知る私にすれば、昌男氏に比べて、康臣氏が果たした役割が知られていないことは残念です。会社の歴史には、実は学ぶことがとても多いと思うんです。
康臣さんと昌男さんは、父と息子であったゆえに、やりづらい面、難しい面もあったと思います。昌男さんにしてみると、康臣さんが長い間社長を務めて、かなりワンマンだったので自分がやりづらい思いをしたのでしょう。その影響もあり、社長や会長職に定年制を設けて、潔く身を引く制度を作ったりしています。

定年制の影響もあってか、ヤマトは小倉昌男さんが去った後も、トップがきちんと交代しているという印象はあります。
都築:僕もきっぱりやめていますし、最後は相談役になりましたけど、発言権がないならあまりやっても仕方ないかなと、1期で辞めました。ただ、社内では小倉さんの存在が大きかっただけに、ヤマトを引っ張っていく後継者となる人材をきちんと育てたかといわれると、あまり、できていなかったかもしれません。
初代社長の康臣さんは50年にわたって、社長を務めました。ワンマンになるのも仕方ないかもしれません。その後、昌男さんが16年社長を務めています。2人の存在はとても大きいものです。
ただ、その後は4年程度で代わっていますから、任期が短めなので、一つの考えを貫いて大きな事業を描くというのは、やりづらくなっているかもしれない。これはヤマト運輸だけの問題ではないと思いますが。今回の問題が起きて、僕は経営者をどう育てるかを強く考えさせられました。
名経営者の後の舵取りが難しいというのはよく聞く話です。
都築:ただ、小倉昌男さんといえども、一人で経営ができたわけではないんですね。
僕は、昌男さんに随分、教えてもらいました。僕よりはるかに頭がいい人です。発想力がある。僕は何ていうかな、自分で言えば、がむしゃらにがんばるタイプです。小倉さんを陸軍大臣、総理大臣だとしたら、僕は参謀本部長というところでしょうか。やっぱりアイデアとか頭の力は小倉さんの方がある。僕は現場屋だから実践派ですね。
ただ、二人だったから力を合わせられたところも多々あると思います。例えば、昌男さんは規制緩和を唱えて、当時の運輸省(現国土交通省)の許認可権限はおかしいとか、発言するんですね。その後、私が低姿勢で運輸省に説明に行ったり。実際に認可の申請に行くのは私ですし。「ヤマトさんは出入り禁止だよ」と役人に嫌みを言われながらも、事情を説明しましたよ。
時には、小倉さんと意見が対立することもありましたが、僕も意見を曲げませんでした。僕のような人間をずっとそばに置いた小倉さんはすごいと思います。何でも言う人間だからそばに置いたのでしょうね。
今は、持ち株会社に変わったのだから、経営陣の中でもぜひ議論してほしいし、勉強をして議論して、時代にあった経営に変えていってほしいと思います。
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