「人工知能は人間に勝てるか」という話題を耳にすることが多くなった。先日、日経メディカルに掲載された駒村和雄先生のコラムでも、この話題に触れた(「人工知能が人間医師に勝てない理由」)。内容をざっくり紹介すると、「診断に関しては、技術がいかに進化しても、機械がその診断に対する責任を取ることができない以上、人間医師が要らなくなることはない」という記事である。
しかし、この記事を読んでから数日後、あるイベントを聴講したのをきっかけに、「やっぱり医療の世界も人工知能に取って代わられる日が来るかもしれない」と思うようになった。なぜ私が、駒村先生の記事と真逆の考えを持つに至ったかについて、イベントで聞いた話の内容を紹介しつつ、駄弁を弄してみたい。
なお以下では、医療行為(特に診断)と自動車運転を比較しながら、人工知能(AI)の可能性について論じていく。もし「医療を自動車の運転なんぞと比べるとは、けしからん!」とお感じの方は、ここでお引き取りいただくことをお勧めする。また本稿は、駒村先生をはじめ、全国の“人間医師”の先生方の不興を買うことを目的とした記事ではもちろんない。近未来を妄想したバカげたSFだと思ってご笑覧いただきたい。
自動運転の最大のリスクは「人間」である
人工知能についての考えを改めるきっかけとなったのは、『THE NEW CONTEXT CONFERENCE 2016 TOKYO』というイベントだ。これは、大手インターネットサービス企業のデジタルガレージが毎年開催しているもので、その時々の旬な話題を各界の第一人者が語ることから人気が高い。この日も会場にはざっと300~400人ほどが詰めかけていた。
本イベントの今年のテーマの一つが「AI」。私が聴講したのは、その中の「ライフサイエンス/ヘルスケア」「自動運転とロボット」といったセッションだ。後で少し触れるように「ライフサイエンス/ヘルスケア」も刺激的だったが、特に「自動運転」のセッションとそれに続くパネルディスカッションが、私にとってとても新鮮な内容で、強くインスパイアされた。
さて、みなさんは、自動運転と聞いて何を思い浮かべるだろうか。Web検索大手のグーグルが、自動運転技術の開発に名乗りを上げたことはご存じの方も多いかもしれない。米国では既に、テスラモーターズという自動車メーカーがレベル2(後述)の自動運転車を販売している。歌手の矢沢永吉がハンドルに手を置かずに車を運転しながら「やっちゃえ、ニッサン」とテレビCMしていたのも自動運転にまつわる技術。自動ブレーキなどの衝突防止機能は、最近の車にはほとんど装備されるようになっているが、これも自動運転技術の一部である。
実は先日、この自動運転車で死亡事故が起きた。2016年5月7日、米国の高速道路を走行していたテスラの自動運転車の前に、側道から車高の高い大きな白色トレーラーが行く手を遮るように侵入してきた。前方から強い日差しが照りつける中、その状況を車載カメラが正しく認識できず、自動運転車はトレーラーの下に突っ込む形で衝突したという(関連記事:ITpro「AIは勘違いする―テスラとトヨタにみる自動運転カー戦略の違い」)。
痛ましい事故ではあるが、このテスラの自動運転車は、完全に自動運転の状態ではなかった。自動運転技術には、全てを人間が操作するレベル0から、人工知能が搭載され人間が全く介在せずに自動車が動くレベル4までがあるが、このテスラ車はレベル2。レベル2は、ドライバーが常時、運転状況を監視操作する必要があるものを言う。事故の時に運転手がハンドルを握っていたかどうかは分からないが、いずれにせよレベル2である以上、それが自動運転車であっても、事故の「責任」はメーカーではなく運転手にあるというのが通説となっている。
自動運転車は、人の介在度合いに応じたレベルで語られるが、現在、多くの大手自動車メーカーはレベル0から順次ステップアップする形で自動運転技術の開発を進めているのだという。一方、自動運転技術に特化したベンチャー企業は、いきなりレベル4からスタートすることを目論んでいる。
なぜベンチャーは、レベル4からトライしようとするのか。それは「人が介在すると危ないから」だそうだ。信号を確認して止まったり、車線を維持して走行したり、障害物を回避するような技術は急速に進んでおり、テスラで起きたような事故は早晩、限りなくゼロに近づけることができる。そうなったときに一番恐いのは、きまぐれに何をしでかすか分からない「人間」だというのだ。
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