福島で社員を鍛える――。震災と原発事故の後、被災地で延々と社員研修を続ける凸版印刷。その数は、今年にも1000人を超える。「本当に、ここで研修をやっていいのか」。人材教育のトップ、巽庸一朗(たつみ・よういちろう)人財開発センター長は当初そう震えたが、参加者は強烈なインパクトを受けた。「被災者がゼロから立ち直ろうと努力を重ねているのに、自分たちの仕事はこれでいいのか」。そして、大組織をも変えることになる。

凸版印刷で被災地研修を企画し続けている巽庸一朗(たつみ・よういちろう)人財開発センター長(写真:野口 勝宏)
凸版印刷で被災地研修を企画し続けている巽庸一朗(たつみ・よういちろう)人財開発センター長(写真:野口 勝宏)

若手から本部長クラスまで、多くの教育研修を被災地の福島で実施しています。

巽庸一朗氏(以下、巽):そもそも、人財開発センターって、2011年4月に立ち上がったんですよ。

座学では、社会問題は解決できない

震災直後にできた、と。

:はい。ただし、震災があったから作ったわけではありません。その前から、社長が「人材を強化する」ということで、人財開発センターの立ち上げが決まっていました。その時に、社長が言った言葉があります。

 「売り上げや利益は必要だけど、目的じゃないんだ。目的は、社会から愛され、必要とされる会社になることだ」と。

いい言葉ですね。

:その言葉を受けて、私は人財開発センター長になることが内定していました。

そこに大震災が起きた。

:それで、いろいろ考えて、社会問題解決のための教育プログラムを翌年に立ち上げました。でも、当初は研修センターでやっていたんです。これでは限界があると思いました。やはり、社会問題がある場所まで行って体感して、強い思いを持って取り組まなければ身につかない。それで、2013年に福島に来たんです。

福島は原発問題も抱え、被災地の中でも難しい課題があります。

:最初は相当、どきどきしたんです。「研修なんかやっていいのか」と。いろいろな企業の方が被災地に行ってはいましたけど、福島にはなかなかみなさん行かれなくて、仙台とかその上(北)の方に行っていた。

福島県浪江町の人気のない町を歩く凸版印刷の幹部社員たち
福島県浪江町の人気のない町を歩く凸版印刷の幹部社員たち

 それでも福島駅で集合して、飯舘を越えて南相馬まで来て半谷(栄寿・あすびと福島代表理事)さんにも会ったんです。その時は、やはり衝撃的でした。本当に被災地のど真ん中で、ほかに建物もなかった。まさに流された地域ですので。緊張していましたね。住民のみなさんに失礼があったらいけないとか、社員を連れてくる責任者としては、あらゆることがプレッシャーでした。ただ、半谷さんとご縁ができて、その後も勉強させていただく機会を得られました。

当時、半谷さんは太陽光パネルを設置したばかりで、プレハブでやっていた頃ですね。

:そうですね、小さなプレハブでした。この最初の福島での研修が終わった後、参加した社員たちの反応がものすごかった。通常の研修と違って、やはり胸に刺さる。直接、社会的課題を見たインパクトが大きくて、ほかの研修では得られない「学び」がここにある、と私自身も痛感しました。

 それで、その年末に半谷さんの所にうかがって、研修結果の報告をして、「もっと多くの社員にこれを体験させたい」と相談しました。

それで、翌14年から本格的な研修がスタートするわけですね。

:そうです。年6回、1泊2日のプログラムで実施しました。各回に社員18人が参加しています。

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