「復興には文学が足りなかった」

玄田:希望活動人口はセンスオブユーモアが大事だと思っています。ナチスの強制収容所での経験を描いた『夜と霧』には「やけくそのユーモア」という言葉が出てきます。どうしようもない状況でできることはユーモアしかない。

 哲学者の内山節さんから聞いた言葉で言い換えれば「復興事業には文学が足りなかった」。行政や東電が語ることは、住民に響くような言葉になっていなかった。

寺岡:今の復興のステージにおいて、非常に重要な示唆だと思います。例えば福島のイノベーション・コースト構想。先端学術施設を集積させる福島沿岸部の目玉政策ですが、住民は「それで私たちの生活はどうなるの?」といった受け止め方が多く、ピンときていない。住民を未来に向かって奮い立たせるような言葉が使われていない。

玄田:釜石の80代のおじいさんから聞いた言葉を紹介したい。「生まれた場所は選べねえから。誰かが俺のやってることをわかっててくれてればいいから。3人わかってくれる人がいれば大丈夫だから」。子供に「夢はありますか?」と聞かれたら「夢持ったまま死んでいくのが夢」。これがまさに希望活動人口です。叶うか叶わないかはやってみないとわからない。現実ばかり見たらやっていられない。意味を考えずに飛ぶような「遊び」が必要なんです。

 別の記者から取材を受けた時のやりとりをよくネタに使わせてもらっています。「希望に必要なものは何ですか」「遊びじゃないですか」「……すいません、遊びの意味をもう少し教えてください」と。これが希望が生まれない背景かと思いましたね(笑)。意味を深く考えずにやってみるのが遊びですよね。

寺岡:なるほど(笑)。遊びという表現も面白いですね。余白や余裕という意味もこもった含蓄のある言葉です。

玄田:10のうち2は遊びがないといけない。活性化と言っている地域はうまくいってないところが多い印象です。活性化という言葉に遊びがない。一番面白かったのは島根県海士町の「ないものはない」という宣言ですね。ないものはないのでしょうがないという意味と、本当に人間の生活に必要なものは全部あるというダブルミーニング。ないところに何かつくるというのは嘘くさいですよね。

地方の終活を考えるべき

寺岡:困難な環境を前向きに見て、遊び倒してしまう。そんな姿勢ですね。

玄田:すごい危機感を持ちながら、肩の力を抜いてユーモアを持つ。30年後に地域がなくなると予想が出たなら、まあ45年は持たせようかと。そのくらいの方が活動は続いていきます。ずっとあり続ける地域の方が例外だということは理解しておくべきです。地域はいずれなくなっていく。使命を果たした地域は人間と一緒で活動を終えていく。何を残して次につなげていくかを考えることも大事です。

寺岡:黒澤明の「夢」のシーンを思い出しますね。大往生したおじいちゃんを村人が祭りのような葬式で送り出す。地域もそういう終わり方ができるのかもしれません。そうした終わり方の中にも希望はあるかもしれません。

玄田:そう思います。地域の閉じ方を誰が考えるか。行政ではないでしょう。地域の名士や大地主なんかがそうあるべきかもしれません。土地に対し愛をもち、何があっても前へ前へと物事を考える。スクラップ&ビルドという言葉はきつくて受け入れられないでしょうね。町にも別れと出会いがある。これぐらいのユーモアを持って考えていく事がいいんじゃないでしょうか。



3月11日で東日本大震災から7年を迎えます。被災地の復興が進む一方、関心や支援の熱が冷めたという話もあちこちから聞こえてきます。記憶の風化が進みつつある今だからこそ、大震災の発生したあの時、そして被災地の今について、考えてみる必要があるのではないでしょうか。

(「3.11から7年…」記事一覧はこちらから)