水俣で生まれた「あばぁこんね」

寺岡:被災経験が危機感を生み、連帯のきっかけになったという人もいます。

玄田:言葉を選びながらも、「震災のおかげ」という人は確かに出てきましたね。水俣でも「あばぁこんね」(水俣弁で「じゃあおいでよ」の意)というグループが生まれました。みんなで一緒にやろうという意味の若者の団体ですね。都会に行ってネットワークをつくってきた若者が、全国で名産品のマルシェを開いたりしている。やっぱり期待できるのは若い人ですね。地域のためになる何かを掴むために都会にガッと行ってガッと戻る。私はこれをVターン(編集部注:一般的にはVターンは出生地とは関係ない地方に移住することを指す)と呼んでいます。

寺岡:震災のような悲劇的な出来事がなくても、地方で希望を増やすにはどうすればいいでしょうか。

希望はもがいてぶち当たるもの

玄田:釜石の倒産寸前の会社の副社長に、「希望とは何ですか」と聞いたことがあります。「んなことわかんね」と言いながら「言えることはただ一つだ。希望に棚からぼたもちはない。誰かに与えてほしいとか、誰も与えてくれないとかではなく、自分で動いて、もがいてぶち当たるものが希望でないか」と答えてくれました。それまで自分は地方に希望を与えられればと思っていましたが、おこがましさ 、図々しさに気づきましたね。

 政治家の方からマニフェストに「希望」の文言を入れる上で助言を求められることもありますが、希望を与えるのは無理だと答えています。国や自治体や首長から「希望を与えてあげる」というスタンスは、結局住民の不和、不満を呼びます。住民一人一人が希望を生み出す力は持っている。それを応援するという姿勢にすべきです。政治家は住民と同じ匂いを嗅ぎ、同じ泥を浴びながら、思いを共有していく。それがあるべき現場主義です。

寺岡:今のお話を聞いていて、東京電力ホールディングスが原発事故避難者に支払っている月10万円の慰謝料のことが頭に浮かびました。機微に触れる問題ですが、これをどのように捉えますか。

玄田:水俣の方は「福島が心配だ」とずっと言っていました。水俣では賠償を受け取れる人、受け取れない人で人間関係がズタズタになった。「福島でも同じことが繰り返されるのではないか」と。

寺岡:インターネットの普及が悪い方向に働いているのではないかとも思います。「慰謝料で高級外車乗り回してる奴がいる」。こんな言葉は東京の人だけではなく、福島の避難指示地域外の方からも聞くことがあります。その方たちは自分で高級外車を見たわけでもないのに、真偽のわからないネット上の噂を真実として捉えてしまっている。しかもその噂は最初から避難者を非難するバイアスがかかっている。水俣の方が懸念した分断は複雑な形で現実になっています。

 慰謝料が自立の意欲を削いでいるという指摘もあります。もちろんその側面はありますが、単純な問題ではありません。私は避難者の方の話を聞いている中で、「東電が許せないからカネをもらう」という言葉に考えさせられました。東電がとにかく許せない、腹が立ってしょうがない。土地も家もコミュニティーも元通りには戻らない。仮設住宅で東電を呪いながら亡くなっていった人もいる。慰謝料でもなんでも、怒りを少しでも中和するものがないと気が狂いそうになっている。そんな印象を持っています。でも一方で、慰謝料を受け取り続けることは自身を「被害者」という立場に縛り続けることにも繋がります。そして東電を許すきっかけもないまま7年が過ぎてしまった。非常に複雑な問題です。

玄田:悔しさは間違いなく希望のきっかけになりますが、怒りや憎しみは難しいかもしれません。なぜ東電への怒りや憎しみが継続するのでしょうかね。

寺岡:毎年のように東電の不祥事が明るみに出るからではないでしょうか。「はいはいわかりました」とぞんざいな謝り方をしながら、いたずらを繰り返す小さな子供のようなものです。現場レベルで必死に廃炉に挑んでいる社員もいることは事実ですが、東電が企業として真摯に反省していると捉えている住民に私はほぼ会った事がありません。いつまでも怒りに縛られていてもしょうがないと割り切れた人が、希望活動人口になれている印象です。