対象は患者だけではない

 住民の登録者が人口の5%を割るEHRが多い中、未来かなえネットは開設2年足らずで16%の1万人まで漕ぎ着けた。登録の対象を一般の住民にも拡大したからだ。通常のEHRは通院時に告知されて登録するケースが多いが、事務局が各地に講演に回り、自治体の広報誌や公民館でも参加者を募った。この取り組みは未来かなえネットの最終目標と密接に関係している。

 3市町の中核病院である大船渡病院の伊藤達朗院長は「EHRからPHRへ。これまで医療機関が握っていたデータを患者が自由に取り出し、利用できるようにする」と構想を語る。PHRはパーソナル・ヘルス・レコードのこと。この中には診察情報だけでなく、幼少期からの健康検査結果やワクチンの摂取履歴も収容される。

 住民は自身の健康情報を能動的に一元管理し、自由に医療機関や介護施設、生命保険会社などにも提供できるようになる。医療機関同士の競争に関係なくセカンドオピニオンを聞くことができるようになるし、データを揃えることで健康状態の推移も理解しやすくなる。いわば、医療データの個人情報銀行だ。

危機感と向き合うことが第一歩

  EHRとしては後発の未来かなえネットが、なぜ全国でも先進事例の一つとして注目されるようになったのか。神田謙一・住田町長は「震災で3市町が危機感を共有し、迅速に連帯することができたためだ」と語る。2010年、15年の国勢調査を比較すると3市町の人口は7万人から6万3000人に約1割落ち込んだ。待ったなしの現実が、改革を加速させた。

 危機感と連帯。現在の東北の復興を語る上で欠かせないキーワードになりつつある。

 震災で3000人を超える死者が出た最大被災地、宮城県石巻市。石巻市立病院は同市を含む医療圏内で初の緩和ケア病棟の新設に取り組んでいる。早ければ年内の開設となる。専門の看護師や家族向けの宿泊施設などを備えた緩和ケア病棟をつくることは、同病院の内科部長、日下潔氏の悲願だった。

 「津波で家を失った高齢者は、災害公営住宅を終の住処と決めた人が多い。しかし、住み慣れない新しい団地の一室で、安心して最期を迎えられるだろうか」。こんな疑問から、日下氏はがん患者が死と前向きに向き合えるための場として緩和ケア病棟の必要性を訴える。

 地方の医療圏では、中核となるがん診療連携拠点病院にすら緩和ケア病棟がない例は多い。懇談スペースや広い廊下、病室が必要で、緩和ケア以外の患者を混在させないなど、利益を出しにくい構造だからだ。日下氏は石巻で緩和ケア病棟の計画が進んでいる背景を「震災前はただの競争相手だった他の大病院が、石巻の復活に取り組む戦友になりつつある」ことだと考える。それぞれの病院が得意とする診療科目に互いに患者を送り込む機会が増えた。患者の食い合いによる合成の誤謬に陥らないため、高コストの投資にも踏み切りやすくなった。

 震災で失ったものの大きさに打ちひしがれる人はもちろんまだ多い。壊れた家に住み続ける在宅被災者や、住宅の無償提供が打ち切られた原発事故の自主避難者など、元の生活を取り戻す目処が立たない人もいる。一方で「震災があったからここまでできた」と語る人も3・11からの7年で着実に増えてきた。その言葉の中に、他の地方にとってもヒントとなる希望がある。真の地方創生の第一歩は、危機感と対峙し、連帯の輪を作ること。今、東北の可能性を探る多くの人がそう語っている。



3月11日で東日本大震災から7年を迎えます。被災地の復興が進む一方、関心や支援の熱が冷めたという話もあちこちから聞こえてきます。記憶の風化が進みつつある今だからこそ、大震災の発生したあの時、そして被災地の今について、考えてみる必要があるのではないでしょうか。

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