アイリスオーヤマ(仙台市)の大山健太郎社長は、3・11後、岩手、宮城、福島の3県の中小企業の復興を支えるための「人材育成道場」を2013年から開催してきた。東京から公認会計士やコンサルタントを呼び寄せ、中小経営者らに新たな事業計画の策定について指南した。宮城県気仙沼市では、これまで反目しあっていた漁業者、卸業者、加工業者が連帯して直販事業を興す(日経ビジネス本誌特集のPART3参照)など、自立復興に向けた動きが徐々に広がっている。大山社長にその手応えを聞いた。

人材育成道場を始めた狙いはどのようなものだったのでしょうか。

大山健太郎社長(以下、大山):アイリスも被災企業ですが、グローバル企業だから経営に深刻な影響はありませんでした。しかし、地元の中小企業は本社も主力工場も生活基盤も沿岸にあり、全て津波で流された。当時、沿岸部の様子をテレビで見て、これはもう再起できないんじゃないかと思いました。50~70代の経営者が、これまでの努力が全て津波に流されて、マイナスからのスタート。さあこれから頑張ろうと言っても、とても気力が出ない。なんとか応援できる方法はないかと考えました。

育成道場の教え子は4年間で約180人となった(写真:村上昭浩)
育成道場の教え子は4年間で約180人となった(写真:村上昭浩)

インフラ工事だけでは復興は果たせない

 国の復興予算も大半は防潮堤や高速道路、学校、公営住宅などインフラの復旧のためのものです。公共工事だけでは、持続的な地域は生まれない。安心して働ける職場が必要です。そのために、地元の企業に新しいチャレンジをする気持ちを持ってもらいたかった。

3・11の前から経営が傾いていた会社もありました。被災前ですらどうすればいいのか分からなかったのに、さらに状況が悪化している。道場に集まった経営者のモチベーションはどこからきていたのでしょうか。

大山:ピンチはチャンスですよ。戦後と同じです。足元の現実を見ると暗い状況ですが、上を向いてみんな一致団結して頑張ったからこそ、復興が成せた。私自身、父の死を受けて19歳で会社を継ぎ、オイルショックで倒産の危機にも瀕している。

 しかし、廃業の危機があったからこそ「メーカーベンダー(製造業兼問屋)」という新しいビジネスモデルを確立できました。ピンチがあったからこそ業態転換ができたんです。

先日、岩手県大船渡市の商店主に話を聞いた際、「家を流された人、家族を亡くした人、それぞれ被災の状況が異なると、気持ちの進み方も違う」とおっしゃっていました。3・11後に始まった中学校の同期会も、徐々に話がかみ合わなくなり、人が集まらなくなってきているようです。地元の復興のために何かしたいと思っても、なかなか動けない人も多いのではないのでしょうか。

大山:夢や願望を語るのではなく、具体的なビジョンを設定し、その志を社員、お客さん、地域に向けて発信することが第一歩です。公言したことには自分自身プライドを持って取り組まなければいけなくなるし、フォローしたいという人が集まってくれます。弱い気持ちを強く維持するには1人ではダメです。みんなで走るからできる。

 人材育成道場で「パンツを脱げ」と教えたのはそのためです。参加者はお互いに守秘義務契約を結んで、財務情報も全部オープンにする。素っ裸の議論です。地場の中小は老舗も多く、プライドが高い。でも、俺が俺がと言っているときではないんですよ。道場の卒業生同士で同期、先輩後輩と縦糸横糸をつないでほしかった。そのためには腹を割って構想を共有する場が必要でした。それが人材育成道場です。

次ページ 社会性を追求せよ