当然ながら、藩内にはしこりが残る。藩内に反発を抱えたまま、容保は大政奉還の日を迎える。幕府が倒れた後は、薩摩・長州藩との戦いが時間の問題となり、慶喜を奉じる会津藩と桑名藩は敗れ、朝敵に転落した。容保は弟の定敬とともに、慶喜に随って江戸へ敗走する。会津藩士たちもその跡を追った。

 しかし、新政府に対して恭順の意思を示す慶喜からは会津への帰国を命じられる。抗戦の意思を捨てない会津藩は、慶喜にとり都合の悪い存在になってしまったからだ。その後の会津藩の苦難は、白虎隊の悲劇に象徴されるように良く知られているだろう。

 明治維新(戊辰戦争)における会津藩の悲劇とは、創業者の社訓に縛られた子会社の社長が本社に義理立てし続けた結果、その身代わりとなって自分の会社を倒産させてしまい、社員にも多大な犠牲を強いた事例である。会津藩主松平容保の生き様は、現代にも通じる本社と子会社の関係の難しさを物語っている。

(次回は、3月22日に桑名藩主・松平定敬をお送りします)

著者
安藤優一郎
(あんどう・ゆういちろう)氏

プロフィール
 歴史家。文学博士(早稲田大学)。江戸時代に関する執筆・講演活動を展開。JR東日本・大人の休日倶楽部などで講師を勤める。主な著作に『西郷どんの真実』(日経ビジネス人文庫)。『相続の日本史』(日経プレミアシリーズ)。3月20日に日本経済新聞出版社から『河井継之助―近代日本を先取りした改革者』を発売。