このように、両国の短期的利害の一致を前提とする協調関係の強化を象徴するイベントが、減産延長決議に先立ち、17年10月初旬にあった。サウジ国王として初めてとなるサルマン国王によるロシア訪問、プーチン大統領との首脳会談である。

 首脳会談で、両国はエネルギー・経済分野での協力関係強化に合意するとともに、サウジによるミサイル等の武器購入、20億ドル規模の投資ファンド設立などで合意した。また、首脳会議と同時に開催されたファリハ・ノバク両エネルギー相会談で、減産延長の基本的合意がなされたと見られている。

 いずれにせよ、シェール革命による国際石油市場の激変と米国中東政策の変更、そして、短期的な利害を背景として行われた初のサウジ国王による訪露は大いに注目される

サウジの強硬外交

 ところで、15年1月のサルマン国王即位以降、国王と最愛の第7男ムハンマド・ビン・サルマン皇太子(17年6月までは副皇太子)兼国防相が推進する外交・国防政策は強硬路線が目立つ。

 例えば、15年3月以降のイエメン内戦への軍事介入、16年1月のイランとの国交断絶、17年6月のサウジ等4か国による対カタール国交断絶・国境封鎖、17年11月のレバノンのハリリ首相辞任騒動など、従来の慎重にも慎重を期すサウジ外交から、大きく様変わりした。

 その背景としては、湾岸地域で覇権を争うイランによるサウジ包囲網形成の動きがある。サウジの眼には、イランが支持するイスラム教シーア派勢力によって、南のイエメン、対岸のイラン、北のイラク・シリアと、「シーア派三日月地帯」で包囲され、封じ込められたと見える。

 イラクは、米国がスンニー派のサダムフセイン追放後「民主選挙」の実施でシーア派政権が成立しイランと同盟国化、シリアは、米国の無策により敵視するシーア派に属するアサド政権が勢力を回復。また、サウジが影響圏と考えてきたカタールやレバノンまでイランに接近する動きが出てきた。さらに、そうした状況下で米国主導によるイラン核合意と経済制裁解除が行われた。

米国の中東失策

 こうして見ると、イランの勢力伸長によるサウジの安全保障環境悪化は、近年の米国の中東政策の失策に起因する部分も大きく、これを打破するために、特に、トランプ大統領就任後は大統領のツイッターの支持の下、強硬外交を連発している側面が強い。

 そして、サウジにとってのロシアとの協調強化は、短期的な利害関係だけでなく、戦略的観点から、伝統的友好国である米国に対する牽制、あるいは、安全保障上のリスクヘッジでもある。同時に、イランやシリアとの関係においては、ロシアは「敵方の味方」として登場するが、そうした国々に対する牽制ともなり得る。

 なお、17年初からの協調減産が必要となった背景に一つとして、経済制裁解除によるイランの原油増産も指摘できる。

ソ連崩壊の記憶

 ロシアにとっても、サウジとの協調強化は、大きな戦略的意味がある。ソビエト連邦崩壊の最大の経済的要因が、原油価格の低迷であったからだ。

 80年代半ば、原油価格は低迷し、86年と88年には10ドル割れがあった。85年冬のOPEC総会は、14年冬同様、シェア戦略を発動し、北海やアラスカの新規供給に対抗し、サウジを中心に増産を行った。その後、86年冬の総会で、16年冬同様、生産協定を復活させ、87年の原油市場は堅調に推移したが、87年後半から違反増産が目立つようになり、88年にはサウジが生産協定の規律回復の意味で意図的な増産を行ったことがある。原油価格を暴落させることで、OPEC加盟各国に減産を強要したのである。

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