アラブ、イスラム国家の盟主を自認するサウジにとって米国大使館のエルサレム移転は受け入れがたい。サウジ国王の正統性は称号とされる「二つの聖地(メッカとメディナ)の守護者」にあり、イスラム教第三の聖地であるエルサレムをイスラエルの首都として認めるわけにいかない。

 とはいうものの、サウジには現時点で反イラン姿勢を堅持しているトランプ政権と友好関係を促進しておく必要がある。数々の懸案もあり、皇太子による訪米に至ったとみられる。

 ムハンマド皇太子にとって、今回の訪米は初の公式な海外訪問の一環。3月4日からのエジプト、同月6日からの英国に次ぐ。注目したいのは、17年6月の皇太子就任から時間がかかったこと。これは就任の経緯がいささか強引で、国内の体制固めに時間を要したとみるべきだ。

 17年11月には有力王族、現職閣僚、有名実業家を含む300人以上を汚職容疑で3カ月近く拘束。公職の解任、財産の没収などを行い、サルマン国王とムハンマド皇太子父子への忠誠を誓わせたうえで釈放した。国王父子が権力掌握。若者を中心とする支持層にアピールを行った。拘束者からの没収財産は年間の財政赤字額に匹敵する1000億ドルを超えたといわれる。

 一方、18年2月27日には参謀総長を含む軍幹部や内閣、地方知事らの人事異動を再度実施。拘束対象となった著名投資家ワリッド・ビン・タラール殿下の弟をアシール州副知事に選任するなど、王族内のバランスや融和にも配慮が見られた。

 社会政策の面でも、皇太子就任後に国民に対するアメとムチを使い分けた。18年1月に税率5%の付加価値税(VAT)を導入。電力、水道、ガソリンなどの料金を大幅に引き上げた。その反面、「規制緩和」にも積極的で、例えば6月から女性の自動車運転を解禁。女性の黒い「アバヤ」着用の緩和、35年ぶりの映画館の開設、首都リヤド郊外のアミューズメントパーク建設計画などを矢継ぎ早に打ち出した。

サウジに対するイランの包囲形成は米国の失策に起因

 現時点でサウジにとって安全保障上の最優先課題は、イラン包囲網からの圧力軽減だ。イエメン、シリア、レバノンなどにおけるイラン支持勢力との戦闘が続き、終結にはトランプ政権への対イラン強硬策の働きかけが必要となる。

 サウジにとってイランは地域の覇権を競う最大の仮想敵国。サウジの王政に対しイランはイスラム民主制、さらにアラブ民族に対しペルシャ民族、イスラム教のスンニ派に対し、シーア派と、対照的な位置にある。

 実は最近のサウジの周辺国に対するイランの影響力の拡大やこうした国のサウジに対する包囲網の形成は、米国の失策に起因するところが大きい。03年のイラク戦争後の「民主化政策」は結果として、イラクに親イランのシーア派政権が誕生した。同時にこれが権力の空白地帯で「イスラム国(IS)」の誕生につながった。シリアにおけるアサド政権による反体制派への攻勢も、イラン・ロシア勢力の浸透も、米国の不介入政策の結果だ。当時のオバマ政権は長年のイラン封じ込め制裁策を転換し、イラン核合意を締結。経済制裁緩和にも踏み切った。