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カルロス・ゴーン容疑者による特別背任事件の決着はまだ長引きそうだ(写真:竹井 俊晴)

日本の報酬体系はグローバル水準から逸脱

 人は何のために働くのだろうか。生きていくためにはおカネが必要なので、「労働の対価」としてそれを受け取る。だからと言って、人は「おカネのため」だけに働くものなのだろうか。

 2018年は「報酬」を巡る話題が花盛りの年だった。11月に突然逮捕された日産自動車会長(当時)のカルロス・ゴーン容疑者による特別背任事件は、報酬の過少記載が突破口だった。政府の資金を運用する官民ファンド、産業革新投資機構(JIC)を舞台にした経済産業省と経営陣の衝突も、報酬が高すぎるという首相官邸の横やりで経産省が態度を一変させたことが民間人取締役を激怒させ、9人がそろって辞表を叩きつける事態に発展した。

 AI(人工知能)やバイオテクノロジーなど先進分野で、一級の学者が日本の大学にやって来ないのは、報酬水準が低すぎるからだとの声も上がった。もはや日本の管理職の報酬は、中国企業の管理職よりも安いといった報道もあった。

 要は、日本の報酬体系がグローバルな仕組みから大きく劣後していることが様々な問題を引き起こしたわけだ。このままでは、優秀な人材はみな海外に逃げてしまう。日本は沈没してしまう、という識者の危機感は十分に理解できる。

 だが、おカネを出しさえすれば優秀な人材が集まるのか、高い報酬さえ保証すれば、人は全力で働くのかと、ふと考えてしまう。逆に言えば、安月給にもかかわらず、全力で働く人は否定されるのか。

 報酬はその人の評価のひとつのモノサシであることは間違いない。日産自動車を破綻の危機から救ったゴーン容疑者は、10億円を超す年間報酬をもらっても飽き足らなかった。自分の働きには、もっと価値があると信じていたに違いない。

 かつてゴーン氏が絶頂の頃、会社を立て直した大手製造業の経営者に「いったい〇〇さんは会社の株価を何倍にしたのか」と聞いたと言う。これに日本人社長が「X倍だね」と答えると、ゴーン氏はこう言い放ったそうだ。「それなら報酬を今の10倍もらうべきだ」。

 日本人社長は苦笑交じりに「あんたのような顔をしていたら、もらえるんだが」と答えたそうだ。つまり、外国人だったら高い報酬を得られても、日本人経営者はそこまで貪欲になることは許されないというわけだ。

 何事にも中庸を求める日本人は、巨額の報酬をもらって当然だとはなかなか言えない。自分だけ多額の報酬を得れば、世間の目が許さない。そんな意識が日本の経営者には根付いている。

 それでもここ10年で、日本の経営者の報酬は大幅に上昇した。1億円以上の報酬開示が始まった2010年に、1億円以上の報酬を得る役員がいた会社は166社で、289人だった。それが、2018年には240社538人へと大きく増えた。かつては1億円以上もらうのは創業社長と相場が決まっていたが、最近では総合商社や大手電機メーカー、金融機関まで幅広い業種で1億円プレーヤーが誕生している。