学生時代から釜ヶ崎に通う

そこでなぜ鈴木先生が改革の先頭に立つことになったのですか。

鈴木 当時、大阪府議会議長だった浅田均さん(現・参議院議員)に、大阪維新が策定していた「維新八策」へのアドバイスを求められ、「維新政治塾」の講師就任を打診されたのです。それをお引き受けして、ビールを飲みながら雑談をしている時に、西成区の話題になったのです。実は私は大阪大学の大学院生の時から釜ヶ崎に通い、助教授時代はこの地域のホームレスや生活保護受給者のフィールド調査をしていました。そんな話をしたところ、「いや、良い人を見つけちゃった」と言われ、その後、どんどん巻き込まれていったのです。

行政や各支援団体のベクトルを合わせる

まったくの偶然から改革を立案・実行する中心人物にさせられてしまったというわけですか。

鈴木 あの地域は数多くのステークホルダーがいます。長年ホームレスを応援している支援団体や炊き出しなどをやっている福祉団体、労働組合系の団体、クリスチャンの団体などです。釜ヶ崎はそうした団体のいわば聖地のような存在です。さらに商店街や町内会、もちろんこの地区の周辺住民もいます。何しろプレーヤーが多いのです。釜ヶ崎の再生計画を作るには、彼らをまとめて1つの方向に向けることが重要です。将来のために踏み出す合意形成ですね。

 さらに行政を1つにまとめる必要がありました。私は西成特区構想担当の大阪市特別顧問に就任することになったのですが、行政組織の中に入ったのは初めてです。想像はしていましたが、行政は巨大な縦割り組織で、福祉局や子ども青少年局などいくつもの局が釜ヶ崎の問題には関わってきます。さらに、福祉は大阪市、労働問題や警察は大阪府、職業安定所は国と、所管も分かれている。これをひとつの方向にまとめることは並大抵ではありません。

 しかも、釜ヶ崎の民間のステークホルダーたちは、「行政に対する怒り」という一点に関してだけは一致している。長年積み重なった不信感を払しょくするためには、官民で腹を割って話し合う必要がありました。舞台装置としてすべてのプレーヤーが集まる場を作りました。小学校の講堂に200人が集まり、皆で意見を言う場を作ったのです。始めはケンカ腰の参加者もいてカオス状態でした。しかし、プレーヤー全員に納得してもらう事が重要でした。

ホームレスに町の美化の仕事を与え、自立してもらう

身の危険を感じる事はなかったのですか。

鈴木 もちろんありました。ただ、学生時代から釜ヶ崎に通っていたため、顔役と言えるキーパーソンの方たちと直接面識がありました。本の中では実名でお世話になった方たちの話を書いていますが、前々から存じ上げていたこうした人たちに助けられました。

具体的な改革項目についてはご著書をお読みいただくとして、大きな改革の方向性はどんなものだったのでしょうか。

鈴木 ステークホルダーの声を集めたボトムアップの再生計画を作ることが何より大事だと考えました。当初、橋下市長は、超難関の有名私立進学校を西成に誘致して、子どもや意識の高い親を誘致するという、派手なアイデアを口にしていました。しかし、それをやると、問題を抱えた高齢のホームレスを地域の外に追い出すことになりかねません。抜本的な問題解決にはならないわけです。