「アメ」からスタートし、その後…
こうした賃金引上げや残業時間に上限を設けることは、働く側からすれば喜ばしい。働く時間が短くなり、給料も増えるからである。
だが、一方で、企業からすれば、大幅な負担増になる懸念がある。賃金引き上げはコスト上昇に直結するし、残業に上限ができれば人手不足に拍車がかかる可能性もある。実現会議の場でも企業経営者からは慎重な意見が出る可能性が大きい。
単に働く人たちの待遇だけが改善されて、企業の生産性がまったく変わらなかったとすれば、企業収益は低下する。人々が働かなくなって日本企業の収益力が落ちてしまえば、元も子もない。本当の意味で「働き方」を見直し、仕事の仕方を効率化することで、生産性を上げようというのが改革の本来の趣旨であるはずだが、なかなかその点は強調されない。働き手にとって「アメ」のような政策ばかりが正面に掲げられている。
今回は搦め手から攻める
おそらく「アメ」を前面にぶらさげないと、「働き方改革」などできないと官邸周辺は思っているのだろう。まずは働き手の待遇改善を強調するところから、改革に着手しようと考えているようだ。というのも、安倍内閣発足直後の失敗があるからだ。一定給与以上のホワイトカラー層の労働時間規制を外す「ホワイトカラー・エグゼンプション」を打ち出したところ、野党や労働組合から猛反発をくらい「残業代ゼロ法案」のレッテルを貼られた。結局改革は進まずにとん挫した。労働分野は安倍首相にとって最大最強の「岩盤」になった。
そう考えた官邸は、今回は搦め手(からめて)から攻める方針に変えたのだろう。まずは労働条件の改善という「アメ」からスタートし、そのうえで、生産性向上に直結するような規制改革を行おうとしているのだろう。
残業を一律に規制すれば、幹部候補育成上の障害に
残業時間に上限を設けた場合、管理職でない若手社員はすべて、働ける労働時間が制限されることになる。幹部候補生も工場で働く現場のワーカーも今の「正社員」という枠組みの中では同じ扱いになる。だが、海外の企業では、若手を始めから経営職として採用するため、彼らは猛烈に働く。日本の若手よりもはるかにハードな仕事をこなし、生産性の高い働き方をしている。労働時間も決して短くない。彼らは現場のワーカーとは「別枠」なので、そもそも労働時間で評価されたり縛られたりしていないのだ。
正社員に一律に上限を設定すれば、企業は、幹部として育てて行こうという人材をフルに使えなくなる。時間では成果を測れない知的労働集約型の職種では、成果が上がらないのに時間で縛られて仕事がこなせないという事態に直面する可能性が出て来る。自由にとことん働ける「別枠」を設けなければ、日本は海外の競争相手と比べて大きく劣後することになるだろう。つまり、上限規制の議論はいずれ「別枠」を設けるという議論につながるのだ。ホワイトカラーエグゼンプションの議論に入っていけるというわけだ。
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