社員の「本来業務」を明確にすべき

 というのも、副業を解禁するには、その社員の「本来業務」が何なのかを明確に示さなければならなくなるからだ。例えば金融機関の社員が通訳の副業をしようとした場合でも、その社員の本来業務が通訳だった場合、会社はそれを認めるのか。その社員を海外の大学に通わせて通訳できるぐらい語学堪能に育てたのはその金融機関かもしれない。それでも金融機関の本来業務とは違うので、語学力を外で生かすのは問題ないと日本企業が割り切れるか。

 競業先での副業はダメだとした場合、その社員の「本来業務」が何かを明確にしなければ、「競業」かどうか分からない。会社がその社員に期待する「本来業務」は何なのかを明示し、社員は規定の労働時間の中でそれに応える。つまり、ジョブ・ディスクリプションが明確になっていかざるを得ないのである。

 欧米企業では、その社員の仕事が何かを明確に示しているため、同じ課の隣の社員が残業していても、さっさと帰宅していく。日本は隣の先輩が残っていたら、部下は帰りにくい。そのジョブ・ディスクリプションのなさが、長時間労働の温床になっているとされてきたが、一方で、そうした風土が、日本企業の「チームワーク」の源泉であると信じる人も少なくなかった。それが、長年、ジョブ・ディスクリプションが必要だ、と言われながらも、日本企業に根付かなかった理由である。

 そこに、「副業解禁」が風穴をあけることになるわけだ。副業がどんどん当たり前になっていけば、社員は会社の中での自分の役割をより強く認識するようになる。業務の専門化が進み、プロ意識が高まっていくことになるだろう。今は、会社も「本来業務」の副業はダメだと言うところが少なくないが、いずれ、「専門能力」こそ、様々な「複数の」会社で生かせることに社員は気がついていく。会社もその社員の「能力」が必要だと思えば、他社との兼業でも受け入れざるを得なくなる。

 かくして、専門性を身につけた社員と会社の関係は希薄化していく、いや、よりパラレルになっていくに違いない。フリーランスや請負に近い感覚を兼業社員は持つようになるだろう。その人を丸ごと「雇用」して「就業規則」で縛るという従来の「会社と社員」の概念から外れる専門家が増え、業務を明確化したうえで、それぞれの会社と個人が個別に業務契約を結ぶ。そんな関係が増えていくだろう。

 あたかも「擬似家族」のようだった日本の伝統的な「カイシャ」は急速に壊れていくに違いない。