「今すぐこの場でご紹介できる物件はありません」
ドイツ南西部の街フライブルクの中心部にある不動産屋。客として入店した記者が物件の紹介をお願いすると、対応したジェシカ・キッセルさんはきっぱりとこう言い切った。
ドイツ・フライブルクの街並み。家が資産として広く認知されている
でも不動産屋さんですよね?なんで紹介できないのですか??戸惑う記者に対してキッセルさんも少し困惑顔になりながら教えてくれた。
「ここでは現時点であなたと同じような条件で家を探しているお客さんが十数人います。2015年夏ごろから特に物件が足りなくなりました。連絡先と詳しい条件を教えて頂ければ新たな物件をこちらからご紹介できますが、別の方が先に決めてしまう可能性はあります」「日本とは状況が違うかもしれません。ですが時間をかけてゆっくりと探していきましょう」
前回のオンライン記事「Why!なぜ日本人は住宅ローンに大金を払う?ドイツから見えた日本の家の異常さ」では、お笑いタレント・厚切りジェイソンの持ちネタ“Why Japanese people!”を引き合いに、日本の住宅制度に内在する根源的な問題について触れた。
オンライン記事は「日経ビジネス」2月22日号特集「家の寿命は20年~消えた500兆円のワケ」連動企画として配信。仮にメンテナンスを尽くしたとしても家の価値が正当に評価されにくい日本独特の問題に焦点を当てた。「資産」と言いながら、あたかも「消費財」であるかのような扱いになっている日本の家。日本に暮らしていると、こうした状況が当たり前のように感じてしまうが、決してグローバルスタンダードではないという事実を、ドイツを例に明らかにした。
が、強調しておきたいのはドイツを楽園のように礼賛したかったわけではないという点だ。ドイツでは家を資産化するため、これまでに様々な政策を打ってきた。代表例が「Bプラン」「Fプラン」と呼ばれる都市計画。将来的な人口動態を予測し、20年先までの住宅地の範囲を厳格に限定している。需給をバランスさせることで、家の資産価値が落ちにくい構造を作り上げた。
総世帯数を800万戸分も上回る総住宅数を抱えているのにも関わらず、今でも年間90万戸の新築を作り続けている日本。結果として、資産価値の低下が常態化し、空き家の急増が社会問題となった。使い捨てに近い日本の住宅政策はひょっとしてズレているのではないか――。「常識の非常識」について考えてみる一助になればとの思いから記事を書いた。
だが、もちろんドイツの住宅政策は万能ではない。
ドイツでは家の資産化を進める副産物として、弊害も生じている。それが顕著に表れているのが慢性的な家不足問題だ。
冒頭のキッセルさんから後日、記者の元にメールが届いた。そこには5軒の物件情報が添付されていたが、3~5カ月先に入居可能な賃貸住宅のみで、分譲住宅は含まれていなかった。
家が見つかるまでホテル暮らし
3年前にイギリスからドイツ・ミュンヘンに移り住んだ日本人男性は言う。「うちは妻子と3人家族だが、なかなか家が見つからなかったので1年半は狭い単身用アパートに住んでいた。希望する条件に合った物件が出てきても見学申し込みの時点で他の人が先に成約してしまうことも多々あったよ」。ドイツに移住した日本人の中には住む家すら見つからず、半年以上ホテル暮らしを続けている例もあるという。
ドイツの新築着工件数はこの10年間で年15万~25万戸で推移してきた。総住宅数と総世帯数は同水準の4000万戸超で均衡している。
20年前後で資産価値がゼロになる日本の木造住宅と異なり、石造りが主流のドイツの住宅の場合、60~80年は価値が残ると言われている。加えて、省エネ性能を評価する制度(エネルギーパス)が整っているため、中古住宅であっても最先端の省エネ設備を導入するリフォームを行えば、家の資産価値が向上する仕組みになっている。
実際、ドイツの一戸建て・二戸建て住宅を建築年代別に見ていけば、1958~1968年が全体の16%に相当する236万戸。1969~1978年は同13%の194万戸に上る。1918年以前の住宅も220万戸と同15%を占めている。
ドイツの首都ベルリンの街並み。戦前の古い家は今も住宅として使われている
もちろん日本のように地震や台風などの天災が起こる確率が低いという環境の違いがあるため、単純比較はできない。だが、需給がバランスしている点に加え、建物の資産価値を担保する制度が整っていることから、家の資産価値が落ちにくい仕組みになっているのは厳然たる事実だ。
一方、需給がバランスしているが故に、前述のように空き物件が見つからないという問題が起きている。ただ、家を資産として捉えているドイツでは、家がなかなか見つからない、建てられないという状況は当たり前のこととして受け入れられている。キッセルさんが言うように、家は「時間をかけてゆっくりと探し出すもの」という意識がしっかりと根付いているからだ。
前回の記事に登場したアンドレアス・デレスケさんはエネルギー消費量を大きく抑える「パッシブハウス」と呼ばれる最新鋭の集合住宅を建てるのに5年の月日を費やした。住民代表として計画段階から関わったため、5年間は「四六時中家のことばかりを考えるような状況」に陥った。だが、結果として資産価値を高めることができたため、「まったく後悔はない」と話す。
デレスケさんが住むフライブルクの先進モデル地区から路面電車を乗り継ぎ郊外へ向かうと、緑に囲まれたエリアに立つマンション群が見えてくる。これらは自治体が管理する公営住宅だ。築50年に近づいたため、最近、このうちの2棟で大規模リノベーション工事が行われた。
住民予定者を事前にマッチング
工事では、ベランダの開口部を大きく外に張り出す構造に変更。建物全体の延べ床面積を1000平方メートル分大きくした上で、1フロアごとの部屋数を6から9へ増やし、入居できる総世帯数を底上げした。その結果、自治体へ入る家賃収入が増え、大規模リノベーションにかかったコストを短期間で回収できるようになった。ドイツではこのような公営住宅が充実している。建設主体は日本のように自治体に限定されているのでなく、民間団体も許可さえ受ければ、自由に建設することができるのが特徴的だ。
大規模リノベーション後の公営住宅(写真左)と、まだリノベーションが行われていない公営住宅(写真右)
この公営住宅では、大規模リフォームの完成後にあるイベントが開かれた。フロアごとに入居を希望する住民予定者らが事前に顔合わせをし、自己紹介し合う。そこでちょっと性格が合いそうにないなと感じたら入居希望を取り下げることができる。希望するフロアとは別のフロアの住民予定者と合いそうだと思えば、入居予定の部屋を変更することも可能だ。
この公営住宅に住む高齢女性は「事前に気の合う仲間を見つけられたので安心して住むことができた」と笑顔で話す。公営住宅であっても入念に、時間をかけて事前に入居予定者同士のマッチングを行う。家を資産と考えるドイツならではの試みだろう。
今、ドイツは難民・移民受け入れを巡って揺れている。ヘンドリクス環境・建設相は、年10億ユーロの住宅支出を2020年まで2倍の年20億ユーロに拡大する必要があると発言。年15万~25万件の新築着工件数を年40万戸規模に増やす考えだが、新築住宅の着工規制やリーマンショックを機に建築会社の数は減少傾向が続いており、すぐには対応できない状況にある。
政府が難しいかじ取りを迫られているのは間違いない。ただ一時的な措置として政策変更を余儀なくされたとしても、家の資産化という政策の大綱は揺るぎがない。
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