以前、恐竜の研究をしている人からこんな話を聞いたことがある。恐竜が大好きで、将来は恐竜博士になりたいと思っている子どもの中には、自分が大人になったときに恐竜博士として研究すべきテーマは残されているか、それを心配している子がいるという。あと数年で、恐竜のすべてが解き明かされてしまうことを恐れているのだ。でも、恐竜の世界でも酵母の世界でも、その心配はなさそうだ。

 「安心していいです。いろいろな解析手法が生まれたことで、分からないことは前より増えていますから」

「あの日が人生で最良の日」

 児玉さんが、まだまだ仕事が残されている研究という職を志したのは、まず、父親の影響だ。味噌づくりに熱心だった父親は、児玉さんが幼い頃から、自立するようにと教えていた。

 「とてもコンサバティブな父でしたが、将来、私が結婚して、もしだんなさんが死んでしまって未亡人になっても、自分で食べていけるよう手に職をつけるようにとは繰り返し言っていました。具体的には医者になれとか、薬剤師になれとか。私はそこには興味がなかったのですが、食いっぱぐれのない職業に就かないとな、とは思っていました」

 大学へ進学し、酵母ではなく酵素の勉強をしていた頃には、通学に使う阪急電車の窓からサントリーの山崎蒸留所の姿を見るたびに、「あそこへ就職できたらいいな」と思った。

 研究職を希望したのは「女性が自立して働ける職種だと思ったから」。「製造部門や企画部門を希望しても、そこでの仕事は補佐だったでしょう。自主的にできる仕事というと、ほかに才能もないので、研究くらいしか思いつかなかったんです」

 研究者としてサントリーで働くことが決まったとき、父親は大変喜んだ。が、それ以上に喜んでいたのは、児玉さんが博士号を取得したときだという。

 「めちゃくちゃ喜んでいましたね。授与式にも付いてきたんですよ。7年前に亡くなりましたが、『あの日が人生で最良の日だった』と言っていました」

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