
鈴野氏は禿氏について、「禿とは物の見方が似ていた。また、それぞれの得意分野でお互いの作業をカバーすることができた。そして何より、2人で一緒に1つの作品を作っていく感覚が面白かった」と話す。テンプレート イン クラスカは多くの雑誌に取り上げられ、それを読んだ就職希望者が海外から現れるなど、大きな反響をもたらした。
この最初の仕事をきっかけに、トラフ建築設計事務所にはさまざまな依頼が舞い込んでくるようになる。「ラッキーだったのは、自分たちの新しい仕事場を、クラスカの中に構えられたこと。依頼人には、テンプレート イン クラスカや、その後で手掛けたクラスカの屋上計画『テーブル オン ザ ルーフ』を実際に案内することができた」(鈴野氏)。
デビュー後の2人は、顧客を開拓する営業活動ではなく、仕事の結果を呼び水として次の仕事につなげていった。仕事を選ばず、「1000本ノックのように」(鈴野氏)、すべての仕事を全力で打ち返すように心掛けていたと言う。

コンペにも積極的に参加し、仕事のきっかけをつかんだ。2007年に発表したナイキのシューズ専門店「NIKE 1LOVE」も、彼らの初期の代表作の1つ。同プロジェクトのプレゼンには大型の模型を持ちこみ、さらにそこに多くの「余白」を残すことで、「自分たちの意見を述べつつ、コミュニケーションを取りながら余白を作り込んでいく」というビジョンを示し、クライアントの心をつかんだ。
「個人の住宅を手掛ける際は、クライアントと会話しながら設計図を描いていく。商業施設でもそのやり方を踏襲したことを、ポジティブに受け止めてもらえた」(禿氏)。これらのプロジェクトをきっかけに、彼らはその後も定期的にナイキと仕事を続けている。
チャンスはどこにでもある
若い頃のコンペは次の仕事のきっかけにもなるが、「チャンスはどこにでも転がっている」と話すのは鈴野氏。例えば、トラフ建築設計事務所では東日本大震災で被災した宮城県石巻の復興を目的としたDIYメーカー「石巻工房」の活動にも関わっているが、こういった場は若いデザイナーにとって活動の幅を広げる舞台にもなると言う。
「良いアイデアがあれば石巻工房や、石巻工房 東京ショールームに積極的に持ち込んでほしい。さまざまな可能性が広がるはず」(鈴野氏)。
最後に、独立を目指す若いデザイナーへのメッセージを聞いた。
禿氏は、「独立することと周囲と連携することは表裏一体」と話す。「転機となったクラスカの仕事も、鈴野の紹介がきっかけだった。自分が独立を宣言することで、誰かが手を貸してくれる」(禿氏)。
鈴野氏は「一度はアトリエ事務所に就職してみるという選択肢もある。独立したからこそ分かる面白さもあるが、アトリエという組織の中だからこそ味わえる醍醐味もある。最近は、『苦労して人の下で働くよりは、最初から独立したい』という学生も多いが、インターンなども活用していろいろな機会に触れてみてはどうか」とアドバイスする。
[日経デザイン 2016年10月号の記事を再構成]
Powered by リゾーム?