人間は「よりおいしいもの」を求め続ける

小竹貴子さん(以下、小竹):先生はもともと鶏卵研究の専門で、2011年の東日本大震災がきっかけで、より幅広い食材を対象にした分子調理学の研究へと展開していったそうですね。

石川伸一さん(以下、石川):はい。料理は好きで趣味的にいろいろ実験をしてはいたのですが、科学を通じて新しい食をつくる意義を感じ取ったのは、あの災害を経験したことが大きかったですね。

 避難所の食環境を見ていると、人は決して「1日3食、栄養バランスが取れればいい」と満足できる生き物ではないと実感しました。

 これは動物の中でも人間特有なのですが、どんなにおいしいものでも必ず飽きます。そして、少しでもおいしいものを食べたいと欲求するのです。

 温かいものは温かくして食べたいし、食べる場所も落ち着いた環境を求めます。

 「おいしい」と感じるには、様々な条件が必要なのだと分かりました。

 そこで、自分がまずできることは何かと考えた時、ずっとやってきた分子レベルの研究から「おいしさの条件」のようなものを発見・解明していく試みを始めるようになりました。

小竹:まずは、どういうところから始めたのでしょうか。

石川:おいしくなる現象の研究からです。例えばアイスクリームメーカーから「ベテランの職人がアイスの材料を混ぜるとおいしくなるのに、同じ材料で若手が混ぜてもうまくいかない。なぜでしょうか」というご相談を受け、その原因を科学的に分析するといったことですね。

小竹:どのように分析するのでしょうか。

石川:マニアックですよ(笑)。電子顕微鏡でアイスクリームの中の乳脂肪の大きさや分子構造を調べて、その分布がどうなっているか、その違いが食感とどういう関係するかを見ていくんです。

 細かい条件を変えるだけで、新商品の開発につながることもあるんです。

 どの材料をいつ入れるかというタイミングや混ぜ方でも、味や食感は変わってくる。食の現象のメカニズムを解明することが、研究上のミッションだと思っています。

宮城大学食産業学群教授の石川伸一さん(写真内右、写真:竹井俊晴、ほかも同じ)

料理の“地頭力”を鍛えること

小竹:企業の研究部門がそこまでやってこなかった場合もあるということですね。

石川:割と大手でも、経験則に頼っているところは少なくないようですね。私も意外でした。しかしそれでは企業としての存続に関わる。今まさに、変わろうとしているんだと思います。

 一方で、食材の研究だけでは、おいしさの解明には充分ではないとも感じています。

 私は心理学の専門家ではありませんが、「誰とどんな雰囲気で食べるか」といった環境要因も、おいしさには深く関与するはず。また味や香りだけでなく、見た目もおいしさを左右します。「器がおいしさにどう影響するか」といった研究ももっと進んでいい。

 より総合的なアプローチが重要でしょう。

 例えば、小竹さんはどんな時に「おいしい」と感じますか?

小竹:そうですね。やはり、その時の雰囲気は食の印象を左右すると思います。子どもがつくったちょっと塩辛い料理も、つくる工程が楽しければおいしいと感じますし。

石川:自分が作ると一番おいしい!と思うことはありませんか。これは「IKEA効果」と言うらしいのですが、家具も自分で組み立てると愛着が湧くそうです(笑)。

小竹:先生は著書でも「食材や調理のメカニズムを知ることで、料理の“地頭力”を鍛えよう」と提唱しています。たしかに、「こういう調理器具を使って、これくらいの温度で何分加熱すると、卵はこうなる」という知識が身につけば、レシピに頼らずに、いつでもオリジナルの料理を考えられたり、災害のような非常時にも限られた食材の中でできる工夫は増えそうです。

 逆に言うと、「なんでも自動でできる」ようなテクノロジーを生活に取り入れすぎてしまうと、料理の地頭力はどんどん低下していってしまうのではという懸念があります。

石川:おっしゃる通りです。テクノロジーは便利な半面、奪っていくものも大きいと私も思います。研究者としては悩ましいところです。

小竹:分子調理学に基づく技術は、機械に搭載されるだけじゃなく、家庭のキッチンに立つ個人にこそ備わっていくべきなのかもしれませんね。例えば、介護の分野でも、応用が期待できそうです。

(後編に続く)