プログレッシブ教育への転換――。それが可能になった大きな要素として、併設しているPre-K(満4歳の児童が通う幼稚園前のプログラム)で実施されていたことが挙げられる。

 幼児教育はそもそも学力ではなく、それぞれの好奇心を引き出すようなプログラムであることが多い。P.S.125のPre-Kも積極的に外に連れ出していろいろな体験をさせるプログラムを提供しており、不人気の小学校とは違って高い人気を誇っていた。そこで、Pre-Kの教師と協力して、そのメソッドを幼稚園、1年生、2年生に広げていくことにした。

 「幼い子供には自分で試して発見できる環境を作って上げることが大切です。言葉で教えるよりも、実際に触って何かを発見するものです。その発見を授業に持ち込みます」

小雨がぱらつく天気だったが、子供たちは菜園で様々なものを観察していた(写真:Retsu Motoyoshi)

 Pre-Kのプログラムを作り、今は一つ上の幼稚園で教えるミシェル・アレンは言う。

 取材で訪れた6月初め。外はときおり小雨がぱらついていたが、幼稚園の子供は気にするふうもなく、学校に隣接する小さな家庭菜園に出ていた。あるグループは片隅にあるコンポストに食べたバナナの皮を入れ、あるグループは畑に座ってバジルなどの苗の絵を描き、あるグループは土の中の虫を探し、あるグループは敷地にある桜の木に登っていた。服が汚れることを気にする大人は誰もいない。アレンによると、自然の循環を感じさせる意味があるのだという。

「子供の学校を良くする」

 もちろん、トラディショナルな授業をプログレッシブに転換するのは容易ではない。ニューヨーク市の底辺校がプログレッシブ教育と叫んだところで、市当局がすんなりと首を縦に振ることはないだろう。そこで、ヒギンズはまず、テストの点数を引き上げることに注力した。

 個々の学力をテストで検証、何が分かっていないのかを個別に把握していった。同時に、教師の得意分野を改めて整理、向き不向きでチームを編成しなおした。「テストの点数」はヒギンズが目指している方向とは正反対だが、学校運営の裁量を増やすため、あえてテストにフォーカスしたのだ。

 その後、テストの成績が向上し始めると、市当局の監督者もフレキシブルなプログラムを認めるようになった。それを確認したヒギンズはテスト勉強のウェイトを下げ、英語と算数以外のプログラムを増やし始めた。

 もう一つ、P.S.125の変革に決定的な影響を与えたのは保護者の変化だ。「子供の教育はプロである学校に任せる」というスタンスの保護者が大半だったが、徐々に学校の運営に主体的に関わる親が増え始めた。その中で主導的な役割を果たした一人の日本人がいる。

 鈴木大裕。研究者としてコロンビア大学に在籍した2011~16年まで、鈴木は2人の娘をP.S.125に通わせていた。ニューヨーク在住の日本人は駐在員を中心に公立のレベルが高い地域に住むか、私立に通わせるケースが多いが、鈴木はコロンビア大学に近いハーレムに住み、子供をP.S.125に通わせた。その背景にあるのは「選ばないことを選ぶ」という鈴木の哲学だ。

2人の娘を通わせていた鈴木大裕氏。理想とする教育を実践するため、帰国後、高知県土佐町に移住した(写真:Retsu Motoyoshi)

 「選ぶことのできる人間が選び始めると、選ばれなかった学校はよくならない。子供の通っている学校を良くすることを考えた」

 コロンビア大学に来る前は公立中学校の教師だった鈴木。その中で培われた考え方である。

 もっとも、体育館も図書館も、音楽や美術の授業もないという最悪期である。実際に通わせてみると、想像を絶する窮状だった。体育館がないため体育は教室の机をどけて体を動かすだけ。音楽の授業がないのに、隣のチャータースクールからは楽しそうなジャズが流れてくる。ボンドやコピー用紙などの備品を買う予算がないため、各家庭が用意することも頻繁にあった。

 「同じ校舎の中にカースト制があるような感じだった」。そう鈴木は振り返る。

 彼自身、米国の教育システムの最も優れた部分に触れていただけに失望が大きかった。

 高校時代、鈴木はニューハンプシャー州のボーディングスクールに留学していた。米国のボーディングスクールは全人教育を掲げる学校が多く、テストの点数だけでなく音楽やアート、スポーツなど子供の得意分野を伸ばす環境が整っている。また少人数のため、教師も子供の声に耳を傾け、生徒自身に考えさせる姿勢が徹底されている。ところが、我が子の通っている小学校を見ると、そうした教育と正反対だった。

 「そもそも米国の教育の優れたところを学び直そうと思ってコロンビア大に来たのですが……。自分の受けた教育との違いに愕然とした」

 そして、鈴木は保護者の立場で学校に関わっていく。

 「まずは仲間を増やさなければ」と考えた鈴木は小学校の子供を持つ友人に積極的に声をかけた。9月の新学期前に開催する保護者向けの学校説明会も、それまではヒギンズが説明していたが、保護者や生徒が前面に出るスタイルに変えた。学校関係者がアピールするより、実際に子供を通わせている保護者や子供が語る方が説得力があると考えたからだ。他の学校の事例を参考に、SNS(交流サイト)を使った情報発信や資金調達の多様化なども進めた。

保護者会長を務めるトモイ・ゼマー氏。他の保護者とともに建設的に学校に関わっている(写真:Retsu Motoyoshi)

 現在、Parents Association(保護者会)の会長を務めるトモイ・ゼマーも鈴木に引っ張られた一人だ。P.S.125のPre-Kに娘を通わせていたゼマーは、アレンの教育方針に深く共感したが、小学校の方はテスト重視の伝統的な学校である。どうしようかと考えていたときに、親の力で学校を変えていこうと鈴木に誘われた。Pre-Kのプログラムを低学年に広げていくという話もあり、「ならば」と残留を決めた。

 「ミス・アレンがいなければ残っていませんでした。最悪、(自宅で教える)ホームスクールを考えていました」