30年以上続く米国の教育改革。その歴史はP.S.125が没落していく歴史でもある。

荒廃のスパイラル

 「80年代の半ばから後半にかけて、この学校には1000人を超える生徒がいた。当時は教科もたくさんあり、演劇や言語、音楽を教える専門の教師もいた」

 32年間、P.S125の教壇に立つベンジー・ブラットマンはそう振り返る。だが、90年代以降は生徒数が大きく減少していく。地域の子供が減ったという人口動態的な要因もあるが、近隣のチャータースクールとの競争に敗北したという面も大きい。

 ヒギンズが赴任する前のP.S.125は、学区の中でも成績の悪い落ちこぼれ校として有名だった。それに対して、チャータースクールは大学進学率やテストスコアの良さを前面に出して生徒募集を進めていた。現実を見ればチャータースクールはピンキリで、英語を母国語としない子供や障害を持つ子供を受け入れないなどの批判は根強い。公立はそういう子供も受け入れなければならず、テストの点数を学校の評価と見なすのは公平とは言えない。

 また、ニューヨークのような大都市は移民が多く、子供の語学力や学力レベルにばらつきがあるという面もある。だが、貧困にあえぐ親ほど貧困から抜け出すために、子供に充実した教育を受けさせたいと考えるもの。チャータースクールを選ぶ家庭が増加、ヒギンズが着任した頃は全校生徒が150人まで落ち込んでいた。

 「生徒が減り、教科や放課後のプログラムがカットされた。われわれ教師は英語と算数を教えるだけで、それ以外のことは何もできなかった」。そうブラットマンは振り返る。

 生徒数の減少はP.S.125の苦境に拍車をかけた。

 一般的に、米国では固定資産税が教育予算の財源のおよそ半分を占める。固定資産税は不動産価格に連動するため、裕福な地域ほど教育予算が潤沢で、貧しい地域ほど教育にかける予算が少ない。予算が多ければ子供の興味に応じて様々なプログラムを提供することが可能になるが、予算に限りのある学校は教師の人件費をまかなえず、教科の削減などにつながる。

 住んでいる場所で教育の質が大きく変わる現実――。教育の機会不平等と、それに伴う格差の固定化は米国の病理の一つだ。

 「教育の質の低さと税収の低さは貧困層の多い都市部でとりわけ深刻だ。裕福な地域には素晴らしい公立校があり、そもそもチャータースクールを選ぶ必要がない」

 ニューヨーク市立大学教授のデイビッド・ブルームフィールドはこう指摘する。

 正確を期すと、ニューヨーク市は少し事情が異なり、学校の予算配分は生徒数がベースになっている。P.S.125の予算が削減されたのも新学期の生徒の登録数が減少したためだ。もっとも、学区内の所得レベルが教育に影響を与えているという点では変わらない。

 米国では課外授業や放課後プログラムを充実させるために、保護者が中心になって資金を集めることがしばしばある。この手の資金集めの時にモノを言うのは親の財力とステータス(社会的地位)だ。

 マンハッタンの中でも屈指の高級エリア、トライベッカの小学校では近隣の有名シェフを招き50万ドル以上を集めたことが話題になった。だが、ランチ補助を受けているような貧困家庭にはそんな芸当は期待できない。現に、P.S.125が資金調達のためにイベントを開いたときなど、大の大人が7時間クッキーを売り続けて60ドルしか集まらなかった。

 「われわれ教師も廃校になると思っていた」

 13年前からP.S.125で教えているブリンダ・フォックスが吐露するように、2000年代後半のP.S.125は土俵際に追い詰められていた。予算の減少によって体育や音楽、美術などテストに関係のない教科はどんどん削られた。英語と算数のテスト対策ばかりで子供の学ぶ力が養われるはずもない。結果的に子供たちの学校離れが加速した。まさにデススパイラルである。

 だが、あるきっかけで歯車が逆回転し始める。ヒギンズの就任とプログレッシブ教育へのシフトだ。

好奇心を軸にした教育

 プログレッシブ教育とは何か。人によって定義が異なるが、一人の教師が生徒に答えを教えるような伝統的な教育スタイルではなく、子供が持っている好奇心や一人ひとりの習熟度に応じて、最適な学びの機会を提供する教育のことだ。

 なぜ空は青いのか、なぜ雲は動くのか。子供は素朴な疑問を持つ。興味のあることを学ぶときはフラストレーションを感じることなく楽しめる。そうした好奇心をつぶさずに、上手く引き出して学ぶ機会につなげていく。それがヒギンズの考えるプログレッシブ教育である。

 そのためには読み書きソロバンだけでなく、アートやオペラ、ダンス、水泳、野菜作りなど子供の好奇心のアンテナに引っかかる様々なプログラムが必要になる。「プログレッシブ」という用語を使うかどうかはともかく、こういった教育は裕福な家庭の子供が通うボーディングスクール(全寮制学校)や私立校、寄付の多いチャータースクールでは当然のように提供されている。

 プログレッシブ教育を求める保護者は増えているが、様々な教育プログラムが必要なうえに、教える側のスキルも求められる。予算に限りのある公立校で実現するにはハードルが高い。ヒギンズはあえてそこにチャレンジしようとした。

 「プログレッシブ教育自体は古くからあるスタイル。教師だった両親にそれが理想だという話はよく聞いていて、自分が校長になったときに試したいと思っていた」