デフレの入り口に金融危機

 日本経済が苦しみ続けたデフレ。そのきっかけの一つは、加藤を苦しめ続ける賃金下落にある。UBS証券シニアエコノミストの青木大樹は「賃金下落が消費低迷をもたらし、それが景気と企業業績を停滞させ、さらなる賃金下落をもたらした」と語る。

給与は下がり続け、デフレの一因になった
●平均年間給与額の推移
出所:国税庁の資料を基に本誌作成

 その賃金下落は1997年ごろに始まった。この年、アジアで通貨危機が起き、日本では三洋証券が会社更生法の適用を申請した。その約3週間後に山一証券が自主廃業を決め、後を追うように旧北海道拓殖銀行が経営破綻、深刻な金融危機に陥った。翌98年には旧日本長期信用銀行、旧日本債券信用銀行が公的管理に入り、危機は深刻度を増した。金融業に従事していた人を中心に失業者が生まれ、転職先を見つけたとしても、従来より低い賃金に甘んじなければならない人が急増していった。

 賃金下落に歯止めがかからなかった一因には2000年代に入って顕著になった日本の産業競争力の低下もある。

 代表的なのは戦後の日本経済を自動車と共にけん引した電機業界だ。例えばソニー。1999年にテレビやパソコンなどのエレクトロニクス事業の収益悪化で、2002年度までに1万7000人の人員削減を実施した。固定費削減が奏功し、2002年度のテレビ事業は最高益を計上したものの、それはつかの間の出来事にすぎなかった。

リストラの中で2013年に撤退したソニーの美濃加茂工場(岐阜県)(写真=共同通信)

 2003年と2005年にそれぞれ2万人、1万人の従業員を減らし、そのたびにテレビ事業の構造改革を打ち出してみたものの、毎年、「必達目標」とした黒字化は2014年度まで実現することなく、結局、分社化に追い込まれた。

 「家電の王様」と呼ばれたテレビ事業で、世界有数のブランドを築いたソニーの凋落。その原因は1990年代後半に始まった急速なデジタル化とネット化である。日本の電機産業が世界を席巻したのは、部品を精密に加工し、それが正しく動くように組み立てるメカトロニクスに優位性を持っていたからだ。しかしデジタル化の進展は、それを一変させた。製品の性能を左右するのはソフトウエア。生産面でも「匠の技」は不要となり、新興企業でも簡単に参入できるようになった。お家芸は10年もたたないうちに世界で全く通用しなくなった。