むろん中選挙区制の下で利権を手に入れ、強固な地盤を築いてきた派閥は簡単には死に絶えない。竹下の3代後の首相、宮沢喜一は93年4月、単純小選挙区制を柱とする政治改革法案の成立を狙ったが、自民党内の反対で失敗した。これとは別に、竹下派の継承争いに敗れた小沢一郎・羽田孜グループが離党し、新生党を結党。武村らも政治改革を掲げて党を離れ、新党さきがけを立ち上げたことで政治は一挙に流動化した。

 93年7月の総選挙で自民党は下野。代わって小沢や武村は、日本新党代表の細川護熙を首班にした連立政権を発足させ、翌94年3月、小選挙区比例代表並立制と政党助成金の導入を柱とした政治改革関連4法案を成立させた。派閥政治の否定を狙った政治改革が、派閥の内紛というハプニングで達成される格好となったのだ。

1993年に発足した細川護熙・連立内閣で小選挙区制などが導入された(写真=毎日新聞社/アフロ)

 こうして政治とカネの関係にメスを入れる政治改革はひと段落した。その後の改革は、統治の仕組みに重点が置かれるようになった。

 中でも大きかったのは、96年1月に政権の座に就いた橋本龍太郎が取り組んだ行政改革だ。特に狙ったのは「官邸機能の強化だった」と、経済界で組織した政治改革推進協議会の元事務局長、前田和敬は言う。具体策は首相の権限強化と経済財政諮問会議の設置である。それまで法律上、首相は「閣議の決定に基づいて行政各部の指揮監督を行う」ように制約されていた。しかも各省庁の大臣は短期間で頻繁に入れ替わる。結果として官僚が権限を実質的に握る状態になりがちだった。

 そこで橋本は、中央官庁を1府22省庁から1府12省庁に再編。首相のスタッフとして内閣府を新設するとともに、そこに諮問会議を置くことを決めた。首相が政策作りでリーダーシップを発揮し、大胆な転換もできるようにした。

 小選挙区制での総選挙は、橋本政権の1年目に当たる96年10月に初めて行われ、昨年末で7回になった。この間、最も大きな変化は、「有権者の選択が、党首の人気や政党とその政策に変わっていったこと」と元財務相の藤井裕久は言う。中選挙区制時代は1つの選挙区に複数の自民党候補が立候補するため、党の政策と言うより、「その候補の政策、キャラクターなど個人中心の選挙だった」(元衆院副議長の渡部)。それが小選挙区制では一変した。