政治とカネに目が向けられるようになったのは、時の首相だった田中角栄の金脈問題が表に出た74年ごろから。田中のファミリー企業による信濃川河川敷買収に絡む土地転がし疑惑をきっかけに、75年に政治資金規正法が改正された。「これが実効性のある改革の最初だった」と日本大学教授の岩井奉信は言う。

 もっとも改革の歩みは遅かった。75年の政治資金規正法改正では、企業や労働組合などから政治家個人、政治団体などへの政治献金は、最高1億5000万円までに制限された。しかし、政治家が持つことのできる政治団体の数に制限がなかった上に、団体などへの献金は年間100万円まで情報公開の義務がなかった。

 このため、例えばある企業が特定の政治家が持つ複数の政治団体に、それぞれ100万円以下を献金する分には、カネの流れが表沙汰にならずに済んだ。「政治資金がどこから出ているのか。その透明度は数%だった」(岩井)。

 リクルート事件は、この状況を一変させた。事件の発覚当時、自民党の新人衆院議員で後に文部科学大臣に就いた鈴木恒夫は、「政治の仕組みを思い切って変えないと党はもたない。事件はそれほど党の信用を失墜させた」と振り返る。鈴木は88年7月の臨時国会が始まると間もなく、武村正義や鳩山由紀夫、渡海紀三朗らとともに政治改革を目指す勉強会、ユートピア政治研究会を立ち上げた。この研究会が起点となって、武村らはのちに新党さきがけを結党することになる。

リクルート事件で摘発された江副浩正会長(左)と、受託収賄罪に問われた藤波孝生・元官房長官(右)(写真=左:読売新聞/アフロ、右:毎日新聞社/アフロ)

 政治改革をどう進めるか。中心となったのは選挙制度に関する議論だった。「政治とカネの問題がなぜ起きるのか。それは中選挙区制だからだ」。当時、自民党で政治改革担当の副幹事長を務めていた保岡興治らは、そう声を上げた。

 中選挙区制の下で自民党は1選挙区に複数の候補を立て、それぞれの候補の背後に控える派閥と共に地元への利益誘導を競い合う状態になっていた。だから選挙で「5億円を使えば当選し、4億円なら落選とさえ言われた」(保岡)。利益誘導とカネ集めの仕組みから作り直さなければ、政治とカネの問題は変わらないと考えたのである。