(日経ビジネス2015年11月2日号より転載)
1988年7月19日。首相の竹下登が「内閣の命運をかける」とまで言明して、消費税の導入を図ろうとした臨時国会が始まった。日本では初めての大型間接税。竹下は高齢化時代の国家財政を担う新たな基幹税を創設し、歴史に名を残すつもりだったはずだ。
しかしその後、国会は税の議論を吹き飛ばすような大スキャンダルで揺れに揺れた。リクルート事件である。リクルート会長、江副浩正が自身と自社の政財界における地位向上を狙って、子会社、リクルートコスモスの未公開株を与野党幹部らに賄賂として譲渡したというものだ。
竹下と前首相の中曽根康弘、大蔵大臣の宮沢喜一、自民党幹事長の安倍晋太郎ら、政府・党の幹部の秘書や本人、さらには野党議員、官僚など数十人にコスモス株が渡ったことが分かり、国民の怒りは頂点に達した。
この事件は、戦後政治にとって極めて大きな意味を持った。事実上手つかずのままだった腐敗防止の仕組みづくりが、ついに動き出したからだ。
腐敗の原点に中選挙区の弊害
戦後の政治改革は2つの大きな流れがある。75年に始まった「政治とカネ」の改革が一つ。もう一つは96年に始まった統治改革だ。では75年まではどうだったのかというと、改革と呼べるものはほとんどない。
69年12月の総選挙で初当選した元衆院副議長の渡部恒三は、苦笑しながら当時を振り返る。「地方に住む人にとっていい政治家とは、公共工事を持ってきて、地元に補助金をたくさん付けられる人だった」。
経済成長の果実を地方に分配するのが政治家の力だったというわけだが、それが許されたのは国民が政治とカネの実態を知らなかったことも大きい。
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