工場投資でも遅れた

 後発の韓国や台湾勢を巻き返すことがほとんど不可能になったのは90年代後半から2000年代にかけてのことだ。半導体の集積度が上がり、工場に巨額投資が必要になったが対応できずにいた。経営体制の問題で資金を生み出せなかったからだ。

 日本の半導体メーカーは、1990年代まで総合電機の中の一部門にすぎなかった。このため業績低迷が続くと、投資原資の割り当てが少なくなり、何もできなくなったのだ。

 日立で金原の後に専務として半導体事業を率いた牧本次生は、事業が赤字のさなかの97年にマイコンという、より高付加価値な半導体に事業の軸を移し、利益率を高めようとしたが、「投資の提案は全く受け入れられなかった」と言う。翌年、牧本は2階級降格となった。

 この時期にDRAMからの事業の転換ができたのは、フラッシュメモリーで成功した東芝だけ。ほとんどの日本勢は巻き返せず、それどころか事業の収束でも後手を踏むこととなった。

 日立と三菱電機のロジック系半導体部門を統合して2003年に分社化したルネサステクノロジと、NECエレクトロニクスが2010年に合併したルネサスエレクトロニクスは、2003年以来過剰人員を抱え続けてきた。

 しかし、ルネサスエレクトロニクスの誕生後も、思い切った改革はなかなかできなかった。「リストラには大きな費用がかかるため、日立や三菱電機など親会社が嫌がった」と、当時のある経営幹部は打ち明ける。

 貿易摩擦のような環境の変化に対応して競争力を向上させた繊維や自動車と半導体の間にあったのは明確な経営者の意思なのだろう。数十年単位の超長期の開発や、事業の入れ替えによる会社の作り直し、または徹底した現地化といった手間のかかる取り組みは、何代かの経営者が明確な意思を持ち、リスクを取らなければできない。繊維、自動車など一部の産業は摩擦のような変化とともに経営を変え、強みを磨いた。歴史は経営力の差が生き残りを左右する事実をはっきりと見せてくれる。

=文中敬称略