そのあまりにはっきりとした暗転の原因はどこにあるのか。「自分自身もそうだったが、目の前の改善・改良にばかり目が向いていた」。日立製作所専務として半導体事業を引っ張っていた金原和夫(現・名誉顧問)はこう振り返る。

 日本企業は顧客の要求に最大限応じようとするきらいがある。品質にうるさい日本の顧客に合わせていれば、技術力は上がるし、高品質の信頼感を市場から得られるという考え方が、どの業界にも根強くある。

 半導体業界は典型だった。顧客の要求に合わせてカスタマイズすれば、競争力は維持できると踏んでいた。

 しかし目の前のニーズに応えることに専念したことで、市場構造の変化を読み取れなかった。

 「日の丸半導体」が世界を席巻していた時、パソコンの普及が始まった。いずれ大型コンピューター向けDRAMのような高品質の製品は需要が必然的に縮小するのは分かっていたのに、高品質を追求すれば競争力が維持できるという考えから抜け出せなかった。

 一方で、米インテルは、85年にいち早くDRAMをあきらめ、CPU(中央演算処理装置)など、より高機能な「ロジック系と呼ばれる半導体の開発・生産に一気に移っていった」(エルピーダメモリの元社長、坂本幸雄)。後発の日本に追い抜かれ、汎用型で価格も低いメモリーでこれ以上、戦ってもメリットはないと見切っての転身だった。

 半導体協定締結後、日本市場は外国製半導体を受け入れることになった。韓国のサムスン電子など後発メーカーは、これを絶好の投資機会と捉え、急速に日本メーカーにキャッチアップ、そして追い抜いた。

 半導体の高性能化を支えるのは半導体製造装置である。この分野で日本勢がなお強みを発揮しているのは、台湾や韓国などの半導体メーカーに製造装置を販売したからだが、その結果として日本の半導体メーカーの競争力はそがれることになった。「結局のところ、洞察力が欠けていたのかな」と金原は言う。

1986年をピークに日本のシェアは下落を続けていった
●DRAMの地域別世界シェアの推移
1986年をピークに日本のシェアは下落を続けていった<br> ●DRAMの地域別世界シェアの推移
出所:ガートナー(2015年(写真=時事通信フォト))
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