やがて元に戻ると見ていた

 戦後70年で最大の難題となりつつある人口減問題は、人災と言えるかもしれない。政と官、そして国民自身がそれを放置してきた結果だからだ。なぜ抜本的な対策が打たれなかったのか。そこには3つの理由がある。

 まず1つ目は、錯覚が生む根拠なき楽観である。「長寿化で高齢者は増加していたし、働く世代(生産年齢人口)も97年頃までは増えていた。正直言って、少子化や人口減といっても、当時はピンとこなかった」。川本が渾身の力を込めた92年の国民生活白書発行当時の経済企画庁長官で、現衆院議員の野田毅ですら、こう打ち明ける。

 「経済と同様に右肩上がりで伸びてきた人口に一時的な停滞があっても、また元に戻っていくだろう。世の中全体をそういう雰囲気が覆っていた」。80年代末から90年代初めにかけて厚生省(現・厚生労働省)児童家庭局長や事務次官などを務めた古川貞二郎(元官房副長官)も同様に振り返る。

 対策を打つ前提となる予測自体にも問題があった。打ち明けるのは経済企画庁、国土庁などで70年代以降、全国総合開発計画を長きにわたって担当した元官僚である。

 「厚生省人口問題研究所(現在は国立社会保障・人口問題研究所=社人研)の人口予測は当時、しばしば外れていて、我々も『あれを基に全総の計画を立てていいのか』と議論したものだ。結局、自前で人口予測をやった」

 社人研の予測は実際よりも上振れすることが多かった。「人口の予測をあまり低くすると公的年金を支える世代の保険料を大きく上げなければならなくなる。それが議論の材料とならないように厚生省は人口が減少するという予測をなるべく避けようとしたのではないか」。当時、霞が関ではそういうささやきさえ聞こえた。

 社人研側に言わせれば「少子化があそこまで急速に進んだ例は他の国にはないし、それを予測する理論もなかった」(副所長の金子隆一)結果だが、いずれにせよ人口減少を問題視するようになる予測はなかなか出なかった。

高度成長期から急激に下がってきた
●日本の合計特殊出生率の推移
高度成長期から急激に下がってきた<br/>●日本の合計特殊出生率の推移
出所:厚生労働省の資料を基に本誌作成
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 これを対策が打たれなかった2つ目の理由とすると、3つ目の理由は「強力な政策推進母体がなかったこと」と、人口と経済の関係に詳しい明治大学教授の加藤久和は指摘する。

 政府は92年の国民生活白書の後、94年に初めての具体策として、エンゼルプランを打ち出した。育児休業の取得促進や駅での保育所開設、在宅保育サービスなどの施設拡充、さらに既存保育所の延長保育やより低年齢の乳児の保育受託など、育児支援に焦点を当てたものだ。

 1999年には、これを育児中の短時間勤務や、出産・子育てで退職した人への再就職支援、教育資金を融資する育英奨学事業の拡充から子育てしやすい住まいの実現にまで広げた新エンゼルプランを策定した。

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