(日経ビジネス2015年10月19日号より転載)
1992年11月、普段はめったに注目されることのない白書が世の中に衝撃を与えた。
国民生活白書。その名の通り国民の生活習慣や消費の動向、その背景などを映し出す白書がこの時、打ち出したのは「少子化社会の到来」だった。今となっては想像しにくいが、当時、少子化という言葉はほとんど使われたことがなかった。
「少子化って聞いたことがないが、なんだ」「一時的な現象だったらどうするんだ」。当時、経済企画庁(現・内閣府)で白書を担当した国民生活調査課長、川本敏(現・白鴎大学客員教授)は、庁内からも、“様々な”声が上がったと苦笑する。だが、この時、川本があえて少子化をテーマに据えたのは、1つの数字がことさら気になったからだ。
合計特殊出生率。1人の女性が生涯に生む子供の数を示すこの数字が、75年度から人口を維持するのに必要とされる2.07前後を割り込み続けていたのだ。さらに81年には、人口自体がやがて減少に向かうと予測された。
決定打となったのは89年の出生率だった。丙午の迷信で出生率が大きく低下した66年度をさらに下回る1.57に落ちたのである。「このまま子供の数が減り続けたら、日本はどうなるのか」。川本は、白書で少子化とその先にある本格的な人口減時代への警鐘を鳴らそうと思いを定めた。
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