地方衰退が原因の3度目集中

 90年代後半以降の第3期東京一極集中の時期、とりわけ2000年代に入ると、地方と東京を取り巻く環境はまた変わった。

 「リーマンショック後の2009年に、液晶製造のNEC液晶テクノロジーと、プラズマパネル製造のパイオニアプラズマディスプレイが、それぞれ工場を閉鎖。947人の職が一遍に失われた。でも、市内で転職できたのはNECでも23%だけ。その後、大企業の進出は全くないし、状況は本当に厳しい」

 鹿児島県出水市の産業振興政策係長、宗像完治は無念そうに唇をかんだ。人口5万6000人。社員の所得税に、法人税や固定資産税などを合わせて市税収入の1割を占めていた2社の撤退は、市財政に大打撃を与えた。

 2000年代に入って大企業が国内工場を閉鎖したり、海外に移転する動きに拍車がかかっている。特に2007年以降は2012年末まで厳しい円高が続いた上に、リーマンショックもあり、状況は深刻さを増してきた。

 第3期の一極集中の要因はここにある。円高とデフレ不況は、主に地方から雇用を奪い、賃金を低下させた。例えば2015年7月の鹿児島県の有効求人倍率は0.86倍で、東京は1.76倍。この構造は長期間変わっていない。しかも、海外に工場が移転すると、「地方からは地方法人税が失われる一方、海外子会社から東京本社への配当が増える」(宗像)ことにもなる。

 つまり、地方が雇用と財政の両面で地盤沈下し、相対的に状態のいい東京にヒトが流入したというのが第3期の東京一極集中の真相だろう。

 もちろん、この時期にも開発計画はある。しかし、この時期の計画は一極集中是正への実質的な対策にはなっていないのが実情だ。その一つで、2008年に閣議決定された国土形成計画は、全国を10のブロックに分け、それぞれが「自律的に発展する」としている。

 「当時盛んだった道州制導入論の影響を受けたのでは」(自治省=現・総務省=出身で元自民党参院議員の久世公尭)などと言われ、評価も高くはない。

 東京に今も残る課題は、長年、一極集中を成長の原動力としてきたことではないか。地方からヒトを吸収することで、消費を拡大し、労働力を賄い、多様な人材の力で付加価値を作り出してきた。若者を引き寄せれば、社会保障コストの担い手も増やせた。濡れ手に粟の構図である。だが、地方の地盤沈下と人口減は、一極集中の持続性を断ち切ろうとしている。本気の改革へ。残された時間はあまりない。