列島改造論がもたらした弊害
政治の圧力は別の余波も生んだ。一極集中是正の動きにそれが影響を及ぼしたのは、新全総策定の後の70年代のことだった。
登場するのは渡部が行動を共にし続けた自民党の実力者、田中角栄だ。田中は72年、首相になると日本列島改造論を打ち上げ、地方への産業拡大を唱えた。全総とは何の関係もないものだったが、田中が打ち上げたことが大きかった。不動産ブームを呼び、地価が高騰し、連鎖的に新全総や、77年末策定の第3次全国総合開発計画(三全総)のコストに影響していったのだ。
数次にわたる全総を一極集中是正のための連続的な動きだとすれば、権力者が自らの思惑で投げ込んでくる政策は、時に大きな雑音となって影響しかねない。一極集中是正にとっての列島改造論はそういう存在だった。
そして、地方と政治に続く第3の圧力集団は、皮肉にも官僚自身だった。

東京一極集中の第2期である80年代のバブル期に一端がうかがえる。87年に閣議決定された第4次全国総合開発計画(四全総)は、バブルを最終的に膨れ上がらせる一因になったと言われる。
全総の初期と同様に「多極分散型国土構築」を掲げたが、その柱としたリゾート開発が発火点となった。初期の全総のような重厚長大産業での地域振興の時代は終わり、余暇を生かす産業に成長の原動力を見つけようとしたのだ。
問題となったのは、一全総の新産業都市同様、ほとんどの道府県でリゾート開発を進めるバラマキ型にしたことだ。「計画策定にあたった部局は当初、3~4か所の開発にとどめる考えだった」と旧国土庁のある元官僚は言う。
ところが、実際の候補地選定の段階になると、地方自治体の要望を取りまとめる同庁地方振興局が大幅に増やしてきた。そこにあったのは「地方の要望を聞くことで、自治体への発言力を強めたいという思惑。そして地方への許認可権限などで関連する省庁を取りまとめる主務官庁になり、霞が関での権限を強めたいという思い」(国土庁の元官僚)だったと見られる。権力に固執する官僚の特質である。
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