第1期の一極集中に対する是正策としての一全総と新全総が十分な効果をもたらさなかったのは、この両者の圧力が計画を膨れ上がらせたためだった。新産業都市などの候補が大幅に増えたため、成功の可能性の高い重要な候補に集中投資ができなくなった。

 さらに個々のプランの中に甘いものが交ざっていても、関係する国土庁や建設省(ともに現・国土交通省)、通産省(現・経済産業省)などの省庁は、すべて同等に許認可などの事務調整をせねばならず、作業が遅れる原因にもなった。結果として、全体の計画遂行力は大きく損なわれることになった。

東京圏への集中を是正する試みは続いたが…
●東京一極集中を巡る政策や人口などの動向
年月 項目 概要
1950年代後半~60年代 3大都市圏へ人口大移動 高度成長時代、首都圏、名古屋圏、大阪圏へ地方から人口が大移動した。東京一極集中の第1期でもある。
1960年7月 池田勇人内閣発足 「国民総生産と所得を10年で倍増する」成長政策を打ち出し、高度成長時代へ。
1962年10月 全国総合開発計画(一全総)閣議決定 全国に新産業都市など工業の拠点都市を設け、人口分散を図った。
1964年 工場等制限法成立 大都市への工場立地を制限する法律が成立。以後、70年代までに、大都市の過密対策で工場三法が制定された。
1966年3月 総人口1億人突破 日本の総人口が1億人を超える。
1969年5月 新全国総合開発計画(新全総)閣議決定 全国に高速道路網、新幹線の整備を打ち出した。
1972年11月 田中角栄内閣、列島改造計画を決定 田中首相が東京一極集中是正を狙い、列島改造計画を打ち出す。
1977年11月 第3次全国総合開発計
画(三全総)閣議決定
全国に44カ所のモデル定住圏を設定。医療・文化などの環境整備を図った。
1980年代 第2期東京一極集中 80年代、首都圏にだけ人口が流入。バブル経済がピークを迎え、地価が高騰した87年まで流入増が続いた。
1987年6月 第4次全国総合開発計画(四全総)閣議決定 高規格幹線道路を全国に1万4000km張り巡らすとした。一方、産業拠点都市整備計画も復活。
1992年 「国会等の移転に関する法律」成立 60年頃から続いた首都機能移転論が再燃。移転先を検討する法律が制定された。
1996年以降 第3期東京一極集中 96年以降、首都圏への人口流入が再び始まる。デフレ不況の中でも東京圏はヒトを集め続けた。
1998年3月 21世紀の国土のグランドデザイン(五全総)閣議決定 全国を4つの国土軸に分けて地域間の連携を図るとしたが、ただの計画に。
2003年6月 三位一体改革本格スタート 補助金圧縮・税源移譲・交付金抑制で地方の自立を図る三位一体改革が本格スタート。しかし、自立には遠い結果となった。
2008年7月 国土形成計画 全国を10の地域圏に分け、自立を図るとした。道州制論議の高まりを受けたが、ほぼ計画倒れに。
2015年8月 第2次国土形成計画 全国を農山村、都市、研究・都市型地域に分け、交流を図ることで地域振興を進めるとした。

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