東京一極集中是正の取り組みは、この間、途切れることなく続いてきた。にもかかわらず流れを止められなかったのはなぜか。そこには、取り組みの効果を弱める3つの圧力があった。

 一つは「地方の圧力」である。起点は高度成長期に遡れる。その初期には京浜、中京、阪神、北九州の4大工業地帯を中心とした太平洋ベルト地帯に、港湾や道路といったインフラの整備が進み、それを目当てに企業の投資が集中した。

 結果、工業地帯と地方の所得が大きく開いた。例えば大分県は、県民1人当たり所得が全国平均より33%も低かったというほどだ。

 これに「地方の不満が爆発した」(国土交通省のある官僚)。それが最初に噴出したのが、2015年まで7回策定された国土開発計画の第1弾、全国総合開発計画だった(一全総)。1962年10月に閣議決定した一全総の柱は新産業都市の建設。地方に大規模な産業拠点を築き、人と企業を移して、東京などへの集中を防ごうというものだった。

新産業都市計画は全国に15もできた
●新産業都市と工業整備特別地域に指定された地区
新産業都市計画は全国に15もできた <br />●新産業都市と工業整備特別地域に指定された地区
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 ところが、どこに拠点を置くかを巡って議論は迷走した。「計画を策定し始めた時、担当者が考えていたのは、東京、名古屋、大阪、北九州など5大都市以外に、全国で3~4カ所、新産業都市を設けるというものだった。ところが、計画策定を聞きつけた地方から猛烈な自薦攻勢がかけられてきた」。計画を立案した経済企画庁に旧運輸省(現・国土交通省)から出向し、後の全総にも関わり続けた栢原英郎は、当時をそう振り返る。

 むつ製鉄の地元、八戸地区もその一つ。強烈な陳情攻勢で新産業都市は、たちまち15に膨れ上がる。すると今度は「他地域よりも発展が進んでいる」として外されていた太平洋ベルト地帯の都市が猛烈に逆襲してきた。結局、茨城県・鹿島、静岡県・東駿河湾など6地区が新産業都市とほぼ同じ開発を行う工業整備特別地域として指定されることになった。64年のことだ。

 こうした地方の攻勢には、当然のように政治家も乗っている。開発計画に圧力をかける2つ目の勢力である。

 一全総に続く新全国総合開発計画(新全総)が策定された69年に衆院議員になった渡部恒三は、その時代の雰囲気をこう振り返る。「(地元の)福島県会津若松市で育った若者が、戦後はみんな東京に出ていっていた。東京ばかりが良くなる。地方は衰退するばかり。何とかしなければいけないという切迫した思いが地元には広がっていた」。