「成果を生まなかった」と断定

 バブル崩壊で右肩上がりの時代の甘えは許されなくなり、改革の必然性は高まっていた。しかし動かない。そんな状況を変えるきっかけになったのは旧大蔵省の不祥事だったと言えるかもしれない。

 95年になって旧大蔵省幹部がイ・アイ・イ・インターナショナル(EIEインターナショナル)の社長、高橋治則らから風俗店などの過剰な接待を受けていたというスキャンダルが発覚した。

 スキャンダルは旧大蔵省への不信につながり、政治サイドからは銀行・証券局など監督部門と主計・主税など財政部門とを分離せよとの声が高まった。今の金融庁を設立するという案は当初からあったが、国税庁も切り離すといった解体論まで飛び出していた。

 組織防衛を図る必要が生じた同省は、橋本の日本版ビッグバンに一も二もなく同調した。

 当時、中堅幹部だった人物はこう打ち明ける。「総理が行政から金融まで幅広い6大改革を打ち出すとすぐ、大蔵省内でビッグバンについて改革項目を検討していた」。その“積極性”に対して、霞が関周辺では「大蔵省の存在意義を官邸に理解してもらうために、自ら改革者のふりをしたのではないか」とも揶揄されたが、米国から20年、英国からも10年遅れのビッグバンは、ともかくこうして動き出した。

<b>サインで株式の売買をしていた東京証券取引所の場立ち</b>(写真=読売新聞/アフロ)
サインで株式の売買をしていた東京証券取引所の場立ち(写真=読売新聞/アフロ)

 しかし、大蔵省始まって以来とさえ言われるビッグバンは最終的には「成果を生まなかった」。金融庁が諮問した学識経験者の懇談会は2002年夏にそう総括している。

 日本版ビッグバンの表の狙いは、橋本がぶち上げた通り「日本を米英と並ぶ国際市場にする」ことだろう。だが、裏にある本当の狙いの一つは、傷んだ日本の銀行を再生するためにも、米英から大幅に遅れた投資銀行業務の力をつけること。これが、ほとんどうまくいかなかった。世界トップクラスの投資銀行と呼べる金融機関は今も育っていない。

「貯蓄から投資へ」も進まず

 2つ目の狙いは、衰えが見え始めていた日本の産業競争力を再強化することだった。ベンチャーをはじめとした起業を活発化させ、既存産業の改革を促す。それを金融制度や市場を改革することで、達成しようとした。

 まず手掛けたのが外国為替及び外国貿易管理法の抜本改正である。企業や個人が国内銀行を経由していた海外との外貨建て取引を自由化し、海外銀行への預金口座開設も解禁。迅速な資金移動ができるようにして、ビジネスをしやすくした。

 さらに銀行に偏り過ぎていた資金を株式市場経由で企業に流れるようにしようとした。株式売買の手数料自由化、証券会社の開業の免許制から登録制への移行…。規制緩和は断続的に続けられ、その一方で政府はビッグバンの中で「貯蓄から投資へ」と、これをお題目のように唱え続けた。

 しかし、この2つ目の狙いももくろみ通りにはいかなかった。「ビッグバンが始まった直後の97年に山一証券や北海道拓殖銀行などが実質破綻。金融危機に陥った影響」と大和総研金融調査部長の保志泰は指摘する。

 だが金融危機が去った後もビッグバンが狙った日本経済の構造改革は道半ばと言わざるを得ない。その証拠とも言えそうなデータがある。ビッグバンがスタートした96年度末に、個人金融資産のうち預金や現金の占める比率は49.9%だった。これが2014年度は52.5%へと逆に上昇している。政府は「貯蓄から投資へ」と旗を振り、直接市場を充実させて産業の活性化を図ろうとした。しかし数字を見る限り、その起点となるところでつまずいているということになる。

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