ソフトランディングはできない

 だが、この時、企業が保有する株式と不動産という資産価格は下落しても、その購入のために積み上げた負債は減らないという問題がやがてバランスシート不況につながると予測した「財務省幹部はいなかった」(ある局長経験者)。それどころか、経済予測のプロである日銀調査統計局の局長にこの後すぐに就く賀来景英も「想像していなかった」と話す。

 この当時の財務省、日銀には「事実上、バブルをソフトランディングさせるノウハウはなかった」(当時の財務省銀行局幹部)のである。

 一方、米連邦準備理事会(FRB)の議長だったアラン・グリーンスパンは、任期1期目の88年に自らを選任した大統領、ロナルド・レーガンが後任を選ぶ大統領選前に景気を押し上げようと利下げを求めたが応じなかった。金利は10%近くに達したが、89年に景気が悪化し始めると、即座に引き下げ、さらに状況を見ながら小刻みに続けてショックを和らげた。この後、グリーンスパンは「資産価格の変動は金融システムに大きな影響をもたらす。対策は早ければ早いほどいい」と述べている。

 日本はその後、大手銀行子会社の住宅金融専門会社が、不動産会社への融資などで巨額の不良債権を抱え、金融システムを揺るがした。しかし、当初は「大蔵省に住専への検査権限すらなかった」(当時銀行局長だった寺村信行)ため、また後手に回った。

 金融危機に対応する道具立てはこの時できた。預金保険機構の拡充や公的資金の注入などだ。しかし、例えば、日銀が異次元緩和の出口政策で失敗し、金利が暴騰するような場面があったらどうなるのか。国債を大量に保有し、体力のない地銀は、どう対応すべきか。その前に金利を暴騰させないための政府・日銀の連携策は…。バブルの生成と崩壊過程の問題は何度でも精査すべきなのだろう。

=文中敬称略