そして3つ目の原因は米国である。バブルには、それにつながる伏線がいくつもある。そしてその先にいつもいるのが米国だった。例えば、銀行が“アニマル化”する引き金となった金融・資本市場の自由化の多くは、米国が市場改革を促すために、84年から日本との間で始めた円ドル委員会で決まっている。

バブルは89年の最盛期を経て急速に崩壊していった
●バブル経済の生成と崩壊に関する主な出来事
1969年
1月
第1次対米鉄鋼輸出自主規制開始 米国への輸出が増え続けたため、同国内の産業保護のため、日本が輸出を自主規制するなどの対策を行った。繊維から始まり、鉄鋼へも拡大。
1980年
12月
外為法改正 資本取引を原則禁止から原則自由へ。日本の資本移動が自由化される。
1981年
5月
自動車の輸出自主規制開始 輸出自主規制が自動車にも拡大。
1984年
5月
日米円ドル委員会 日米で日本の「大口預金金利の自由化」「外貨の円転換規制の撤廃」などを合意。金融自由化へ。
1985年
9月
プラザ合意 日米独など先進5カ国(G5)で、ドル安円高誘導を合意。米国の大幅な経常赤字対策だったが、日本は大幅な円高へ。
同年
 
大口定期預金創設 金融自由化の一環。金利の自由化を始めた。
同年
 
地価、株価上昇始まる 東京、大阪など6大都市の商業地を中心に地価上昇が始まる。株価も上昇へ。
1986年
1月
公定歩合引き下げ 5%の公定歩合を4.5%に。以後11月までに3%へ。87年2月には2.5%に。
同年
4月
前川リポート発表 日米貿易摩擦解消のため、中曽根康弘内閣は内需拡大、市場開放、金融自由化などを図る方策を発表。
同年
7月
日米半導体協定 日本製半導体の世界シェアが拡大し、低価格輸出防止を狙うとされた。
1987年
2月
ルーブル合意 プラザ合意で始まったドル安とマルク安に歯止めをかけた。だが、結果としてドルの下落を止めることはできなかった。
同年
10月
ブラックマンデー プラザ合意以降のドル安基調を変えるため、利上げが行われるとの見方が広がったことなどで米ダウ平均株価が大暴落した日のこと。
1989年
5月
公定歩合引き上げ 日銀は公定歩合を2.5%から3.25%へ。金融引き締めを開始。90年8月には6%に上げた。
同年
9月
日米構造協議開始 米国の対日貿易赤字縮小のため、日本の構造改革などを迫った。
同年
12月
日経平均最高値 12月29日、日経平均株価が3万8915円の史上最高値をつけた。
1990年
3月
不動産業への総量規制開始 大蔵省が金融機関に不動産業への貸し出しを規制する融資の総量規制を開始した。
同年
同月
時価発行増資を停止 90年に入って以後、株式市場が低迷したため、大蔵省の“指導”で時価発行が停止となった。
1991年
3月
三和信用金庫破綻 バブル崩壊による金融機関破綻の第1号とされた。94年頃から金融機関の破綻が本格化。
1992年
1月
地価税導入 地価高騰の抑制のため、一定の土地を保有する個人・法人に課税したが、98年から凍結。
1995年
8月
住宅金融専門会社の危機 大蔵省の検査で住専8社のほとんどが巨額の不良債権を抱えていると判明。
1997年
11月
三洋証券、北海道拓殖銀行、山一証券が事実上の破綻 金融危機。三洋証券は自主廃業。拓銀は営業譲渡。山一は自主廃業。
1998年
10、12月
日本長期信用銀行、日本債券信用銀行が公的管理に 長銀、日債銀に金融危機が及ぶ。
1999年
3月
大手15銀行に公的資金注入 政府が大手銀行に公的資金注入。
2003年
6月
りそなグループに公的資金注入 りそな銀行グループに公的資金注入でバブルの最終処理。