消費税を導入してもまた減税

 この第2期に財政は急激に悪化していった。高い成長が見込めない中で、減税を実施しても民間活力が高まるわけもなく、むしろ景気を支えるために公共工事を拡大していったからだ。例えば77年当時に首相だった福田赳夫は、内閣の発足時から支持率が低く、景気回復のために財政出動を求める経団連会長の土光敏夫ら財界の要求を聞き入れざるを得なかった。

 公共工事が膨らんだのは、経済界の要望があったからだけではない。同じ時期、低迷する世界経済の牽引役を期待する米国の要望もあって日本と当時の西ドイツは財政出動を求められた。その結果、76年には1桁だったGDP(国内総生産)比の国債残高は、10年で42.4%に急膨張していった。日本の公共事業は既に先進国ではトップクラスだったが、それをさらに拡大して景気を押し上げようとした。

 公共工事がどれだけの波及効果を生むのか。対象事業が地方、特に過疎地域にいくほど、経済にもたらす効果は小さくなる。慶応大の井手はインフラ整備の一部を財投で賄ったことで、国民は税金とインフラ整備の因果関係が見えにくくなったと指摘したが、第2期では赤字国債の発行で経済効果の薄い公共工事を連発したため、「税の費用対効果」が分かりにくくなった。

 しかも、石油危機後の低成長の中で、企業の所得は伸び悩み、法人税の増税などでは税収不足はとても補えなくなった。政府は80年代にかけて「増税なき財政再建」を掲げて経費削減に注力。その柱となったのは「国鉄、電電公社、専売公社の民営化など行革路線」(元衆院議員の柳沢伯夫)だった。

 しかし、これも財政再建の達成には遠く、間接税の本格導入を目指すことになる。これが第3期だろう。

 時の政権は79年に一般消費税、87年に売上税という名称で間接税を導入しようとしたが、ともに導入は失敗に終わっている。89年4月、首相だった竹下登がどうにか導入にこぎ着けたのは、「3度目の正直」だった。

 それにしても、財政再建のための増税が繰り返し挫折するのはなぜか──。85年から3年間、主税局長を務めた水野勝は、口述資料の中で、元首相、中曽根康弘が86年に打ち出し、失敗に終わった売上税構想に触れ、こう言っている。「総理の考えは『最初から新税だとかいうな。減税を先行して、これはいいと納得してもらったら財源はどうすると(増税に)持っていく』だったと思う」。

 本丸の増税を実施する前に減税をする。恐らく方法論として、それは正しい。しかし、結果として所得税や法人税、相続税などの減税の方が大きくなり、税収は増えなくなっていった。

 もちろん増税は誰もが嫌がること。しかし、日本はとりわけ増税アレルギーが強い。「増税を実施しようとすると、必ずと言っていいほど『増税の前にムダを削れ』といった批判が出る」と東京大学教授の加藤淳子は指摘する。