(日経ビジネス2015年9月7日号より転載)
国と地方の債務残高は1000兆円を突破し、なお膨張を続ける。増税前に減税を実施して痛税感を和らげようとしても、国民の抵抗は強い。税負担と給付の関係が見えづらいのが、強い増税アレルギーを生んでいる。
日本の借金はほぼ一貫して増え続けている
●国と地方の債務残高、GDP比の推移
出所:財務省資料を基に本誌作成(写真=時事通信フォト)
財務省の奥深くにしまい込まれた1つの資料がある。「戦後財政史 口述資料」。戦後、歴代の事務次官や主計局長、主税局長らが退官後に、自身が現役時代に関わった政策について、その背景や経緯、政治との関わりなどを赤裸々に語ったものだ。基本的に公開を前提としていないため、時々に同省幹部がどう思ったのか、本音が書かれている。
今回本誌は、1959年から2001年までの次官と、財政を預かる主計局長、税制を受け持つ主税局長、国債発行を担当する理財局長ら、のべ60人の口述資料を情報公開請求によって入手した。
この資料を読み込み、またその官僚OB、あるいは政治家たちに取材し、1つのテーマを迫ってみた。既に1000兆円を超え、今も刻々と増え続ける「国の赤字はなぜ膨らんだのか」という大きな大きな問題である。
その中から浮かび上がってきたのは、財政の状況を無視してでも減税を繰り返して景気を維持、押し上げようとする政策が続けられ、その結果として赤字の膨張に歯止めがかからなくなってきたという実態だ。
財政政策は、その特徴の違いで大きく3つの期に分けることができる。1期目は、戦後の復興を終え、東洋の奇跡と呼ばれた高度成長を実現した首相・池田勇人の時代に始まる。池田は首相の座に就いて2年目の1961年度に所得税の最高税率を5%引き上げ、一方で大きな所得減税を実施した。
多額の減税を繰り返した池田勇人・元首相(写真=毎日新聞社/アフロ)
高度経済成長のまっただ中。池田が引き上げた最高税率は75%(国税)に達し、法人税と共に税収は黙っていても増え続けていた。
そこで池田が考えたのは、徴収した税の一部を国民に戻し、成長を加速することだった。同年10月の国会で、経済政策を聞かれた池田は、胸を張ってこう答えている。「経済成長は、社会保障の充実、公共投資や減税政策の推進に依存するところが大きいのであります。私は全体の施策の調和ある展開を期しておる次第です」。
社会保障費は増え続けるが、満足度は低い
●社会保障費の推移
注:2025年度は予想
出所:財務省資料を基に本誌作成
しかしこの年、池田の下で大蔵省(現・財務省)主計局長に就いた石野信一は、口述資料の中でこう述べている。「僕は減税で皆を喜ばすだけじゃあんまり効果がないんじゃないかという考えの方が強かった」。
もっとも、池田は大蔵省主税局出身の税の専門家。大蔵省が池田の減税策を拒むことなどできはしなかった。池田は約4年の首相在任中、自然増収で国庫に入ってきたお金の一部を減税で納税者に還元した。そして、池田の後を襲った佐藤栄作もそれを踏襲し、75年度まで続いた。池田は自然増収分の8~16%を減税に充てたが、佐藤はさらに拡大。減税で民間活力を引き出し、さらに成長を遂げるというパターンを定着させようとした。
財投活用で社会インフラを整備
この時、池田が取った財政政策には、もう一つの特徴があった。一言でいえば、税負担とそれを原資にしたインフラ整備や社会保障、教育などの給付の関係を国民に見えにくくしたことだ。
当時の大蔵省には、予算をなるべく拡大しないという考えが強かった。戦後すぐのハイパーインフレが生々しかったからだ。予算を膨張させれば歳出増から景気過熱につながり、インフレの可能性が高まることを恐れた。そこで税収を国民所得の2割に抑え、予算も徹底して管理しようとした。
そのために取った政策が、高速道路や空港など大型インフラの整備に、郵便貯金や年金資金の運用をする財政投融資を活用することだった。この結果、池田の就任時に一般会計の37%程度だった財政投融資の規模は、10年後には約50%に達し、以後も膨張を続けた。
これが大きな影響を及ぼした。「(財投を活用したことで)国民は目の前で作られている道路や橋が自分の税金でできているとあまり考えなくなった」と慶応義塾大学教授の井手英策は語る。
税財政政策について財務省幹部らが語った「戦後財政史 口述資料」
そして、この財政政策は73年の第1次石油危機で高度経済成長が終わりを告げると第2期に入った。ここでの特徴は、経済成長の鈍化で、所得税の自然増収が難しくなったにもかかわらず減税を続けたことだ。池田以来の所得税減税は75年度まで継続し、1年置いて77年度にも実施された。
とはいえ、所得税の自然増収が見込めない中で減税をどう実施するか。そこで登場したのが法人税増税という一策だった。例えば74年には、当時首相だった田中角栄が法人税を3.25%引き上げる一方、2兆円の所得減税を実施した。
同年7月まで主税局長で、のちに次官になった高木文雄は口述資料の中でこう語っている。「(法人税を大きく上げるという)相当勇敢なことをやってのけた。我々にすれば、法人税は重く、所得税は軽くして、法人(の社員)が飲んだり食ったりするのを抑制する方向にする」と。
これに財界は猛反発した。以後、行政改革を政治に強く迫り始める。「増税の前にムダを削れ」の大合唱だ。しかし、法人税の増税を財源にした所得税減税は84年にも繰り返され、増税をするなら「行革や景気回復などを“条件”にする」という財界の姿勢は一段と強くなっていった。
戦後70年の日本財政は経済危機の度に赤字を拡大してきた
●日本の財政・税制政策の推移と経済環境の変化
年代 |
項目 概要 |
1949年 (昭和24年)8月 |
シャウプ税制勧告 個人所得税、富裕税を基幹税とした。戦前から始まっていた所得税改革をさらに見直した。 |
1953年 (昭和28年) |
財政投融資本格化 大蔵省資金運用部(現・財務省)が郵便貯金や年金積立金などの資金を元に高速道路などの建設、中小企業への事業融資、国民の住宅建設資金融資などを行った。 |
1955年 (昭和30年)10、11月 |
社会党再統一、保守合同で自民党誕生 55年体制がスタート。 |
1960年 (昭和35年)7月 |
池田勇人内閣発足 所得倍増計画で高度成長へ。池田内閣の頃まで、均衡財政主義を取る。 |
1965年 (昭和40年) |
戦後初の赤字国債発行 東京オリンピック開催後の不況で税収が落ち、戦後初の赤字国債発行。 |
1966年 (昭和41年)1月 |
建設国債発行 建設国債は、国が公共事業費などの財源に充てるために発行する国債。 |
1972年 (昭和47年)7月 |
田中角栄内閣発足 日本列島改造政策で公共事業拡大。年金増額などで福祉元年と称されたが財政膨張の出発点に。 |
1973年 (昭和48年)10月 |
第1次石油危機 原油価格急騰で狂乱物価に。 |
同年 |
2兆円減税 田中首相、自営業者の所得捕捉へのサラリーマンの不満に対応。大型減税実施。 |
1975年 (昭和50年) |
赤字国債発行再開 石油危機による歳入不足で、1965年以来の赤字国債発行。 |
1978年 (昭和53年)7月 |
日米独、機関車論 米国と西ドイツ、日本が世界経済の牽引役にとボン・サミットで議論。日本は内需拡大のため公共事業拡大へ。 |
1979年 (昭和54年)1月 |
第2次石油危機 原油価格、再び急騰で世界経済へ打撃。 |
同10月 |
一般消費税導入断念 大平正芳首相が財政再建のため、導入を目指したが、反対強く、総選挙途中で断念。増税なき財政再建路線へ。 |
1982年 (昭和57年) |
ゼロシーリング導入 財政赤字削減のため、予算編成に際しての各省の概算要求で増額を認めないこととした。 |
1985年 (昭和60年)9月 |
プラザ合意 先進国5カ国(日・米・英・独・仏=G5)がドル高是正を決定。急激な円高に。 |
1989年 (平成元年)4月 |
消費税導入 竹下登内閣で税率3%の消費税導入。 |
1990年 (平成2年) |
赤字国債発行ゼロに バブル景気による税収増と消費税導入で赤字国債を発行ゼロに。 |
1994年 (平成6年) |
赤字国債を再び発行開始 バブル崩壊後の税収減で再び赤字国債発行。 |
同年 |
6兆円減税 1997年からの消費税引き上げによる国民負担軽減のため所得税減税。 |
1997年 (平成9年)4月 |
消費税引き上げ 橋本龍太郎内閣で消費税率を3%から5%に。 |
同年 |
財政構造改革法成立 2003年まで赤字国債発行を毎年減らし、政策経費も圧縮。財政再建を図ろうとしたが、翌年停止。 |
同年 |
金融危機 山一証券、北海道拓殖銀行、三洋証券が相次いで事実上破綻。アジア危機も大きく影響した。 |
1998年 (平成10年) |
6兆円減税実施へ 小渕恵三首相は財政再建を転換。景気回復を優先へ。6兆円の大型減税実施。 |
2001年 (平成13年)4月 |
小泉純一郎内閣発足 構造改革路線を打ち出し、国債発行額を30兆円に抑えるなど財政再建へ。 |
2008年 (平成20年)9月 |
リーマンショック 世界的な経済危機へ。 |
2012年 (平成24年)2月 |
社会保障と税の一体改革 民主党の野田佳彦内閣が、最大経費である社会保障改革と税制改革を一体で推進へ。一体改革案を閣議決定。 |
2012年 (平成24年)12月 |
アベノミクス始動 安倍晋三政権発足。事業規模・20兆円に上る財政出動など、金融、経済の3本の矢政策で景気浮揚を図る。 |
2014年 (平成26年)4月 |
消費税率引き上げ 5%から8%へ。 |
同年11月 |
消費税率再引き上げ延期 安倍首相は2015年10月に予定していた10%への再引き上げを2017年4月に延期した。 |
消費税を導入してもまた減税
この第2期に財政は急激に悪化していった。高い成長が見込めない中で、減税を実施しても民間活力が高まるわけもなく、むしろ景気を支えるために公共工事を拡大していったからだ。例えば77年当時に首相だった福田赳夫は、内閣の発足時から支持率が低く、景気回復のために財政出動を求める経団連会長の土光敏夫ら財界の要求を聞き入れざるを得なかった。
公共工事が膨らんだのは、経済界の要望があったからだけではない。同じ時期、低迷する世界経済の牽引役を期待する米国の要望もあって日本と当時の西ドイツは財政出動を求められた。その結果、76年には1桁だったGDP(国内総生産)比の国債残高は、10年で42.4%に急膨張していった。日本の公共事業は既に先進国ではトップクラスだったが、それをさらに拡大して景気を押し上げようとした。
公共工事がどれだけの波及効果を生むのか。対象事業が地方、特に過疎地域にいくほど、経済にもたらす効果は小さくなる。慶応大の井手はインフラ整備の一部を財投で賄ったことで、国民は税金とインフラ整備の因果関係が見えにくくなったと指摘したが、第2期では赤字国債の発行で経済効果の薄い公共工事を連発したため、「税の費用対効果」が分かりにくくなった。
しかも、石油危機後の低成長の中で、企業の所得は伸び悩み、法人税の増税などでは税収不足はとても補えなくなった。政府は80年代にかけて「増税なき財政再建」を掲げて経費削減に注力。その柱となったのは「国鉄、電電公社、専売公社の民営化など行革路線」(元衆院議員の柳沢伯夫)だった。
しかし、これも財政再建の達成には遠く、間接税の本格導入を目指すことになる。これが第3期だろう。
時の政権は79年に一般消費税、87年に売上税という名称で間接税を導入しようとしたが、ともに導入は失敗に終わっている。89年4月、首相だった竹下登がどうにか導入にこぎ着けたのは、「3度目の正直」だった。
それにしても、財政再建のための増税が繰り返し挫折するのはなぜか──。85年から3年間、主税局長を務めた水野勝は、口述資料の中で、元首相、中曽根康弘が86年に打ち出し、失敗に終わった売上税構想に触れ、こう言っている。「総理の考えは『最初から新税だとかいうな。減税を先行して、これはいいと納得してもらったら財源はどうすると(増税に)持っていく』だったと思う」。
本丸の増税を実施する前に減税をする。恐らく方法論として、それは正しい。しかし、結果として所得税や法人税、相続税などの減税の方が大きくなり、税収は増えなくなっていった。
もちろん増税は誰もが嫌がること。しかし、日本はとりわけ増税アレルギーが強い。「増税を実施しようとすると、必ずと言っていいほど『増税の前にムダを削れ』といった批判が出る」と東京大学教授の加藤淳子は指摘する。
その原因の一つは、税負担とその見返りとしての給付(インフラ整備や社会保障、教育など)のバランスの問題だろう。欧州、特に北欧は、税収で社会保障や教育、インフラなどの整備をし続けた。そのせいで増税はインフラの充実など給付増に直結していると、国民に納得されやすいといわれる。
一方日本は、かつてインフラの相当部分を財投で賄ったように、個人の納税と給付の関係がわかりにくい。いきおい、「税は取られるだけで見返りが少ない」と考えられやすくなり、増税へのアレルギーが強くなりがちだ。
さらに90年代以降、給与所得者の名目賃金は約10%減り、世帯所得も20%落ちている。このため、わずかな支出に過敏になる人が増える一方で、増税アレルギーはさらに高まっていくことになるだろう。
バブル崩壊後、税収は増えなくなった
●国の一般会計歳入の推移
出所:財務省の資料を基に本誌作成
行政への満足度高める改革か
これまで見た、税財政の変遷の第1期では、「経済成長の果実としての増収を生かし切れないほど、増税が大きすぎた」(元財務相の伊吹文明)といった側面もある。第2期では、法人税の増税で減税を行うといっても限界があった。法人税自体が、国際競争の中にあって高くしにくくなり、主要な減税財源としては力不足になってきた。そして第3期でようやく、消費税引き上げまでこぎ着けたものの、そこに古くて新しい課題が出てくる。
負担に見合う給付を、国民が感じ取れるようにできるかどうかである。首相の安倍晋三は2017年4月に消費税を引き上げるというが、実は10%になったとしても国の取り分は7.8%だけ。残りは地元自治体のものとなる。
しかも、国税分(税率10%時の増税分は3.8%)のうち、社会保障の機能充実に充てられるのはわずか1%分だけ。それ以外はこれまで社会保障費の不足分を埋めていた借金の返済に回ることになっている。このままでは、負担に見合う給付を実感させるのは難しい。
今必要なのは、増税で借金を返し、国の財政再建を達成することにのみ目標を置く考え方を離れ、国民に何をどう給付すれば、満足感を与えられるか、という視点で財政再建の道筋を考えることではないか。増税をすればいいのではなく、行政サービスの満足度を高めて、税を出してもらう。そうした発想の転換から入らなければ、減税病から抜け出すことは難しい。
=文中敬称略
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