こうした目減りが高齢者の消費減退をもたらし、地域経済に影響を与え始めている。上の表は、公的年金の総額が、個人の消費支出や県民所得に占める比率の高い都道府県。消費や所得の2割前後を年金が支える地域も少なくない。一方、この比率が最も低いのは東京都の11.4%で、2番目は人口増の続く沖縄。神奈川、埼玉、千葉、愛知の各県が13~15%と続き、大都市と過疎化の進む地方との間にはっきりとした差がついた。しかも、上位の島根、山口、兵庫、佐賀、岐阜県などの2001年の比率は15~18%台程度。大都市との差は加速度的に開いている。
地方経済の中で年金の存在感が大きくなる中での給付減は、日本経済を揺さぶる。2014年の全国の高齢者世帯(60歳以上、単身)の消費支出は、前年比0.9%減ったが、賃金が上昇し始めた現役世代(勤労者世帯)は0.1%減にとどまる。景気が上向いても、地方に波及しにくい変化の裏にはこれがある。
年金の70年は「拡大」と「抑制」
戦後70年。国民生活の中で年金は次第に大きな存在感を持つようになっている。高齢化の進展とともに、老後を支える大きな柱として意識されてきたからだ。その年金給付が縮小を始めたのは日本経済の停滞のせいだけではない。その裏には“先送り”の歴史がある。
年金の歴史は、元首相の故・田中角栄が厚生年金の給付額を、それまでの倍以上の月額5万円に引き上げた1973年をピークとして戦前から70年代末まで続いた「拡大の時代」と、一転して80年代半ばから始まった給付「抑制の時代」に分けられる。
「拡大の時代」は「年金給付競争の時代」とも言い換えられる。日本の年金制度は、明治の初めにできた軍人恩給がその出発点だ。その後、船工場の労働者を対象にした年金が42年にできた。これが44年にホワイトカラーまで対象が広げられ、54年に今の厚生年金の原型ができた。
その過程で、公務員などの共済組合の一部が厚生年金から分離して独自に充実策を図り始めたり、一部の市町村が「我が町の住民にも年金を」と、70歳以上の高齢者を対象に慰労年金を創設したりもした。年金の乱立である。
これが政治家を刺激した。工場労働者や公務員などの年金が増えるのに、自営業者や農漁業者は空白地帯に置かれたからだ。
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