「自分の欠点を次の人に埋めてほしい」
鈴木は「変化の激しい時代は、ボトムアップではなくトップダウンでなければならない」という持論のもと、トップの意向が末端まで直結するフラットな組織を作り上げた。
だがセブンイレブンは、もはや親会社のヨーカ堂を上回る規模に成長している。いつまでも鈴木に頼ってはいられない。ましてやヨーカ堂の取扱商品は衣食住と幅広く、いかに優秀な鈴木といえども、すべての商品には目配りできない。ヨーカ堂もセブンイレブンも、鈴木依存から、組織として動ける体制へと変えていかなければならないのではないか。
その点をただすと、鈴木は「いつまでも(社長を)やろうとは思っていない。自分には経営者として欠点はあるはずだし、組織の中に欠点がそのまま出ている。次の人は、それをきちっと埋めてくれることが重要になると思う」と言う。
一方で、「今ここで(社長を)放り投げるわけにはいかない。人間は優れている点があれば、逆にそれが欠点にもなる。俺に問題があるのは当たり前と思っている」とも言う。どうやら鈴木は、経営者としての長所も限界も見極めたうえで、この乱世は自らのトップダウンで乗り切ろうと腹を括っているようだ。
問題は後継者である。よく知られているように、ヨーカ堂には伊藤の長男で専務の伊藤裕久がいる。だが鈴木には、「創業者の息子だから」という先入観はないようだ。
「誰も知らなかった人が大企業の経営者になって評価されている例もある。今は俺がいるからその人は個性を殺しているだけで、役割を与えられれば俺の何倍もの個性を発揮するだろう」。鈴木には、かつて松下幸之助が松下電器産業の3代目社長に山下俊彦を起用したような事例が念頭にあるのかもしれない。
一般的に、経営者は何年も前から後継者をこれと決め、帝王学を伝授する。ヨーカ堂の場合、業革そのものが経営者育成のための“学校”といえる。鈴木はこれまでの18年間、100人以上の幹部社員に対し、自らの経営哲学を直接教え込んできた。「これだけ人間がいるのだから、適任者は必ずいる」というのは鈴木の本心に違いない。
「俺はいつも自然体さ」と鈴木は言う。セブンイレブン創業を決め、決済専門銀行の設立を決めた軽やかさで、鈴木は後継者まで選んでしまうのだろうか。
(=文中敬称略)
(日経ビジネス2000年1月3日号に掲載した記事を再編集しました。社名、役職名は当時のものです。)

日本を代表する巨大流通コングロマリット、セブン&アイ・ホールディングス。長く同社を率いてきたカリスマ経営者の鈴木敏文氏が、2016年5月に、経営の表舞台から退いた。日本にコンビニエンスストアという新しいインフラを生み出した鈴木敏文氏。一人のサラリーマンは、どのようにカリスマ経営者となり、巨大企業を率いるようになったのか。そしてどんな壁に直面し、自ら築き上げた「帝国」を去ることになったのか。
本書では2つのアプローチで鈴木氏の半生と退任の真相に迫った。1つは、鈴木氏本人の肉声である。日経ビジネスは鈴木氏の退任以降、延べ10時間に渡って本人への単独インタビューを重ね、鈴木氏自身に真相を語ってもらった。もう1つは、セブン&アイの「2人のトップ」を知ることである。鈴木氏本人と、イトーヨーカ堂創業者でありセブン&アイのオーナーでもある伊藤雅俊氏。鈴木氏は創業者である伊藤氏の信頼を勝ち取って幹部として台頭した。日経ビジネスは1970年代以降、およそ半世紀に渡って伊藤氏と鈴木氏の取材を重ねてきた。歴史を振り返りながら、「2人のトップ」の絶妙かつ微妙な関係がどのように誕生し、維持されてきたのかを解き明かした。
戦後の日本を変えたカリスマ経営者、鈴木敏文氏。53年間のすべてを一冊に収めた。ぜひご一読ください。
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