セブンイレブンの創業時は40歳だった鈴木も、1999年12月で67歳になった。普通であれば、年をとるとともに人間は守りに入るものだ。しかし鈴木は、いまだに挑戦の姿勢を保ち続けている。

 しかも、幅広い人脈から集めた情報をもとに、先を読む目は鋭さを増している。ソフトバンク社長の孫正義は「インターネットについてよく話をするが、鈴木さんは専門知識を持っていないのに、1を聞いて10を知る。その半面、いい加減なことを言うと10のうち9はディスカウントされる(割り引いて受け止められる)。洞察力はすごい」と話す。

 セブンイレブンは1999年11月、ソフトバンクなどと組みインターネットを利用した書籍販売を始めた。ネットビジネスにおいても抜かりはない。鈴木は今、経営者として脂の乗り切った旬を迎えている。

ヨーカ堂の意識改革を訴えて孤軍奮闘

 だが、その鈴木をもってしても、ヨーカ堂の業績を上向かせることは難しいらしい。

 ヨーカ堂は1999年度の中間決算で、上場以来初の減収減益に陥った。事業税の会計基準の変更を除くと、営業利益は前年同期に比べて4割も減少した。

 鈴木がヨーカ堂の社長に就任したのが1992年10月。ヨーカ堂が最高益を上げたのが1993年2月期だから、皮肉にも鈴木が社長に就任して以来、ヨーカ堂の業績は下降線をたどっていることになる。

 「何回同じことを言ったら分かるんだ」。

 ヨーカ堂の社内で、鈴木の怒声が聞こえない日はない。鈴木は常務時代の1982年から、ヨーカ堂の幹部社員を集めて、「業務改革会議(業革)」と名付けた会議を毎週開いている。

 これまでの18年間、鈴木が言い続けているのは「世の中は売り手市場から、買い手市場に変化している。それに合わせて、仕事のやり方を根本から見直せ」ということだ。

 例えば商品仕入れであれば、「問屋やメーカーが持ち込んだ商品から選ぶのではなく、自ら情報を取り、材料の手配から企画、生産まで踏み込め」「去年売れた商品は今年は売れない」、販売であれば「死に筋商品を排除し、売れ筋に絞り込め」「売れ筋商品は大々的に陳列しろ」という具合だ。

 業革の出席者は、みな鈴木の言うことを、「なるほど、もっともだ」と聞く。しかし頭の片隅では「そうはいっても実際には難しい」と考える。「頭の中で『そうはいっても』が占める割合は、鈴木の前で2割、会議が終わってから自分の席に戻ると5割、取引先を目の前にすると8割になり、結局、現場ではお茶をにごして終わりになる」とグループのある幹部は話す。

まるで“スズキヨーカ堂”

 出席者は鈴木の方針に沿った事例を無理にでも探し出して発表し、会議を乗り切ろうとする。それに対し、鈴木は少しでも理屈に合わなければ、厳しく追及した。「なぜそう考える。おかしいじゃないか」「小学生以下だ。立っていろ」「バイヤーの資格はない。出て行け」。鈴木に叱責された役員や社員が、数日後の人事異動でほかの部署に異動させられることも少なくない。

 一部の社員は「まるで“スズキヨーカ堂”だ」などと陰口をたたいた。会社を辞めていく者も後を絶たなかった。鈴木にも、不満の声は届いていたはずだ。しかし鈴木は、「ヨーカ堂の社員に染み付いた、売り手市場の時代の成功体験を取り去らなければならない」と、自らのやり方を押し通した。まさに変革のための孤独な戦いだった。

 そのかいあってか、1999年あたりからヨーカ堂にもようやく変化の兆しが出ている。「大幅減益を契機に、社員が『このままではダメだ』と感じ始めた」と、鈴木は社員の奮起に期待する。とはいえ、社員は危機感を抱いても、リスクを恐れてなかなか思い切った挑戦ができない。そうした社員の背中を押すため、鈴木は意識して現場を回り、細かいところまで指示を出す。

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