「なぜ、これほどまで消費者に受け入れられたのだろう」。鈴木は考えた。「銀行は敷居が高いが、セブンイレブンは『いらっしゃいませ』と迎えてくれる。しかも自宅のすぐ近くにあって、24時間営業している。お客さんがセブンイレブンを利用するのは、既存の銀行より手軽で便利だからだ」。
さらに鈴木は考えを一歩進める。「銀行はコスト削減のために店舗の閉鎖を進めている。その結果、お客さんは不便になる。小売業だからとか、銀行だからとかは関係なく、それで本当に住みやすい世の中といえるのだろうか」。
鈴木は1998年、セブンイレブンの幹部に命じて、全店に現金自動預け払い機(ATM)を設置する研究を始めた。ここで鈴木は銀行法の壁にぶつかる。銀行法では、預金の取り扱いは銀行しかできないと定められている。セブンイレブンは都銀や地銀と提携し、店内のATMを銀行の出張所とみなすことで、銀行法の壁を越えようとした。
「銀行免許を取ろう」
ところが、それでは店舗コストの安さと24時間営業の利点を生かして、顧客が利用しやすい料金体系やサービス時間にしようとしても、主導権は各銀行に握られてしまう。また店舗を移転したりする場合には、いちいち銀行の了解を取らなければならない。
「銀行免許を取ろう」。鈴木はごく自然にそう考えた。だから融資業務を手掛けたり、既存の銀行と競合したりするつもりはない。新聞や雑誌は「特定の機能に特化したナローバンクは、1980年代の米国で議論されたユニークな銀行形態である」などともっともらしく解説する。しかし鈴木は「『ナローバンク』なんて言葉さえ知らなかった。『なぜ』『どうして』と考えていくうちに、たまたまそういう形態になった」と苦笑する。
だが本当に、理詰めで考えた結果だろうか。
ヨーカ堂の財務担当常務として鈴木をサポートしている宮内章は、「鈴木の決断には、理詰めだけでない、一種のひらめきがある」と話す。普通であれば理屈を突き詰めても、銀行法の前で立ち往生してしまう。前例がないだけに失敗も怖い。にもかかわらず鈴木は、いとも軽々と常識の壁を乗り越え、独創的なアイデアを生み出す。
銀行設立を決意するに至る過程は、今から26年前(1974年)のセブンイレブン創業とだぶる。
当時、鈴木がヨーカ堂の出店説明のために各地を回ると、必ず地元商店街の反対運動に直面した。「小さいからといって、大型店に負けるわけはない。生産性を高めれば、大型店と共存共栄できるはずだ。どうすれば小規模店を活性化できるか」。鈴木は考え続けた。
ある時、米国のレストランチェーンであるデニーズとの提携交渉のため、米国に出かけた。移動中にバスの窓から見かけたのが、セブンイレブンの看板だった。
「へえ、こんなに小さな店でも営業しているんだな」。帰国後にセブンイレブンを調べてみると、全米に4000店もあり、売上高も全米の小売業の中で上位に入ることが分かった。「これは何か仕組みがあるにちがいない」。鈴木にはひらめくものがあった。
今でこそ、コンビニが成長産業であることは常識だが、当時の日本では、「大は小を制する」と信じられていた。当然、ヨーカ堂の役員は口をそろえて「そんなちっぽけな店が成功するはずがない」と反対する。そうした中でも、鈴木はかたくなに自説を曲げず、最後は創業者の伊藤雅俊が根負けして、「そこまで言うのであれば」と進出を認めた。その後のセブンイレブンの成功は、誰もが知るところだ。
セブンイレブンの創業と、決済専門銀行の設立。この2つの決断は、鈴木のリーダーとしての長所、すなわち挑戦の姿勢、先見性、決断力といった特徴を如実に示している。
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