世界有数の流通コングロマリットを長く率いてきたカリスマ経営者、鈴木敏文氏。1963年に黎明期のイトーヨーカ堂に身を転じてから、トップの座を去るまでの53年間、日経ビジネスは彼の挑戦や奮闘、挫折を、常に追い続けてきた。そして2016年、カリスマ経営者のすべてをまとめた書籍「鈴木敏文 孤高」を上梓した。だが、書籍には収まりきらなかった珠玉のエピソードがまだ数多くある。イトーヨーカ堂創業者・伊藤雅俊氏の素顔から、鈴木敏文氏がそれぞれの時代に語った言葉まで。日経ビジネスが追った鈴木氏と伊藤氏の半世紀を、特設サイト「鈴木敏文 孤高」で連日、公開する。

 今回公開するのは、日経ビジネス2000年1月3日号に掲載した、鈴木敏文氏の人物ルポルタージュだ。最近では、コンビニエンスストア業界3位のローソンの銀行業参入などが話題になっているが、この15年以上前に、鈴木氏は決済機能に特化した銀行を設立すると表明し、日本中をあっと言わせていた。理詰めで考えながら世の中の常識を軽やかに飛び越えるその姿は、セブンイレブン創業とだぶる。いや、だぶるどころか、かつてよりもすごみを増していた。(写真:的野弘路)

※社名、役職名は当時のものです。

鈴木 敏文(すずき・としふみ)氏
1932年12月1日長野県生まれ。1956年中央大学経済学部を卒業後、トーハンに就職。1963年イトーヨーカ堂に転じる。1973年ヨークセブン(現セブン-イレブン・ジャパン)設立、1978年社長に就任。1982年ヨーカ堂初の減益を機に経営改革に着手。1992年にヨーカ堂社長兼セブンイレブン会長に就く。1997年から経団連副会長。仕事での滑らかな弁舌、強い口調と対照的に、プライベートでは相手の顔もまともに見られないほど内気で口数少ない。年2回の経営方針説明会では、グループの幹部社員約9000人に檄を飛ばす

 「鈴木さんらしい」と、アサヒビール名誉会長の樋口廣太郎は言う。

 イトーヨーカ堂社長の鈴木敏文は1999年11月、全国9000カ所の店舗を利用し、決済専門銀行を設立すると表明した。「いつか誰かがという感じはあったが、それをズバッと言い出す。しかも既存の銀行を継承するという楽な手法ではなく、正面から新規免許を取ろうとする。剛気じゃないか」。樋口は鈴木の決断に称賛を惜しまない。

 永田町でも、ヨーカ堂の銀行進出は注目の的だ。「金融業界に大変革を引き起こすだろう。既存の銀行は大きいだけで役に立たない店舗を閉めて、『ヨーカ堂銀行』をどんどん利用したらよい」。自由民主党幹事長の森喜朗は、鈴木の構想に全面的に賛意を表す。森は鈴木と20年近い付き合いがあるが、「彼は人が気付かないことをする。年をとって、彼の判断力はさらに磨きがかかってきたようだ」と舌を巻く。

「自然の流れ」で銀行設立を決断

 しかし、そんな周囲の称賛や驚きと裏腹に、当の鈴木には気負いや緊張は微塵も見られない。「最初から大上段に振りかぶって『銀行をやろう』と考えていたわけではない。自然の流れでそうなった」。鈴木は何度も「自然の流れ」を強調する。ヨーカ堂は1年以上の長期経営計画を立てないことで知られる。鈴木は、どういう経緯で、決済専門銀行の設立を決断したのか。

 伏線となったのは、グループのコンビニエンスストア、セブン-イレブン・ジャパンが実施している公共料金の収納サービスだ。

 1987年の東京電力を皮切りに、ガス、水道、電話など次々と対象を拡大。「正直言って、これほど大きくなるとは思わなかった」と鈴木が言うように、今や年間の取り扱いは8000万件、6000億円に達する。いわば銀行の仕事の一部をセブンイレブンが肩代わりしている格好だ。